横浜市交通局200型電車
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横浜市交通局200型電車 | |
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基本情報 | |
運用者 | 横浜市交通局 |
製造所 | 横浜市交通局・藤永田造船所 |
製造年 | 1924年 |
製造数 | 24両(200 - 223・224 - 228) |
廃車 | 1932年〜1947年 |
主要諸元 | |
軌間 | 1,372mm |
電気方式 |
直流600 V (架空電車線方式) |
車両定員 | 40人(200 - 223)46人(224 - 228) |
駆動方式 | 吊り掛け駆動方式 |
備考 | 主要数値は[1]形式消滅年のみ[2]から |
横浜市交通局200型電車(よこはましこうつうきょく200がたでんしゃ)は、かつて横浜市交通局が所有していた路面電車である横浜市電の電車 [3]。
概要
[編集]1924年に関東大震災の被災車両の部品と電動客車131〜150と同型の車体を組み合わせて登場した震災復旧車である。初めて形式の概念が与えられた車両でもある。200〜223と224〜228に大別でき両者は本来別形式でもいいぐらい仕様が異なる。200〜215が藤永田造船所、216〜223が市交通局の工場製。224〜228は全車が局工場製で前者とは機器類や車体長などが異なる。 [1]
運用
[編集]本形式は窓枠を撤去した電動客車の廃車体と入れ替え花電車や装飾電車にも起用されている。年によって種車とデザインが異なっていた。1932年に210、211が廃車になったのを皮切りに廃車が始まった。1939年以降は700型へ、1946年以降は800型にも改造された。[4]さらに第二次世界大戦前後には廃車が進み最末期には一部が図書室や魚の輸送車、職用車、花電車となり1947年形式消滅。[5] 消滅時期が早かったこともあり、改造車である700型、800型も含め現存しない。[2]
脚注
[編集]- ^ a b 岡田誠一、澤内一晃 2009, p. 27・30.
- ^ a b 長谷川弘一 2001, p. 162.
- ^ 岡田誠一、澤内一晃 2009, p. 27.
- ^ 岡田誠一、澤内一晃 2009, p. 30・31.
- ^ 岡田誠一、澤内一晃 2009, p. 6.
参考文献
[編集]- 岡田誠一、澤内一晃『横浜市電 上 (戦災までの歴史とその車輌)』ネコ・パブリッシング、2009年7月。ISBN 9784777052585。
- 岡田誠一、澤内一晃『横浜市電 下 (戦後の歴史とその車輌)』ネコ・パブリッシング、2009年8月。ISBN 9784777052592。
- 長谷川弘和『横浜市電が走った街 今昔 ハマの路面電車定点対比』JTB、2001年10月。ISBN 4-533-03980-4。