コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

横川市平

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
横川 市平
Rear Admiral Yokokawa Ichihei
生誕 1893年4月24日
日本の旗 日本岡山県
死没 1979年1月7日(85歳没)
所属組織  大日本帝国海軍
軍歴 1915年 - 1945年
最終階級 海軍少将
テンプレートを表示

横川 市平(よこかわ いちへい、1893年明治26年〉4月24日 - 1979年昭和54年〉1月7日)は、日本海軍軍人海兵43期。空母「瑞鶴」艤装員長・初代艦長として真珠湾攻撃珊瑚海海戦に参加。最終階級は海軍少将正五位勲三等功四級

経歴

[編集]

岡山県出身。1912年大正元年)9月9日,海軍兵学校43期に入校。1915年(大正4年)12月16日、海兵43期を95人中20番の成績で卒業。[1]

戦艦「日向」分隊長、潜水母艦「長鯨」・軽巡洋艦「由良」・重巡洋艦「古鷹」・戦艦「扶桑」の各砲術長などを歴任。

さらに、特設水上機母艦「神川丸」の艦長、第16航空隊司令、空母「飛龍」の艦長、「瑞鶴」艤装員長・初代艦長として真珠湾攻撃ラバウル攻略インド洋作戦珊瑚海海戦に参加。[2]1942年6月5日、横川大佐は筑波海軍航空隊司令官へ転任。1943年(昭和18年)5月1日、海軍少将に昇進。

以後、航本出仕(総務部)、軍務局御用掛、商工省航空局第三部長、第26特別根拠地隊司令官、第26建設部長などを歴任し、1944年5月25日、軍令部出仕。1945年(昭和20年)9月6日、予備役に編入された。

1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[3]

左から右へ二番目は扶桑砲術長横川市平中佐

年表

[編集]

栄典

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ 海軍兵学校沿革. 海軍兵学校. (1920) 
  2. ^ 星亮一『南雲忠一: 空母機動部隊を率いた悲劇の提督』PHP研究所、2008年5月1日https://books.google.co.jp/books?id=nPAUEAAAQBAJ&lpg=PT26&dq=%E6%A8%AA%E5%B7%9D%E5%B8%82%E5%B9%B3&hl=ja&pg=PT26#v=onepage&q=%E6%A8%AA%E5%B7%9D%E5%B8%82%E5%B9%B3&f=false 
  3. ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、「昭和二十二年十一月二十八日 仮指定者」98頁。
  4. ^ 支那事変 論功行賞通報 第7号 海軍省(1)”. www.jacar.archives.go.jp. 2021年2月22日閲覧。

参考文献

[編集]