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横山由清

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
よこやま よしきよ

横山由清
生誕 文政9年5月1826年
江戸
死没 明治12年(1879年12月2日(53歳)
東京
職業 国学者法制史家・歌人
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横山 由清(よこやま よしきよ、文政9年5月[1]1826年) - 明治12年(1879年12月2日[2])は、江戸時代明治時代国学者歌人である。本姓は小野[3][4]従六位。通称は保三、号は月舎[2]

人物

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略歴

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塚越敬明の子として江戸に生まれる[2]横山桂子の養子となって国学を本間游清伊能穎則に、和歌を義母や井上文雄に学ぶ[2]

始め和学講談所教授となる[2]が、明治2年(1869年昌平学校史料編修に任ぜられる[2]。また宇都宮義綱瀬脇為好とともに[3]大学中助教となる。また制度局御用掛語箋編輯として法律制度の整備に携わる[2]

明治3年9月18日1870年10月12日)少史に任じられ従七位に[1]、明治4年7月29日1871年9月13日)左院に転じ権少史となり、同年12月12日1872年1月21日)正七位となる[1][3]。明治5年10月8日1872年11月8日)左院五等議官に就任[1]

明治7年(1874年)10月10日には左院四等議官となり、明治8年(1875年)2月24日、従六位に進む[1]。同年4月に元老院と改組されると、同年5月24日、少書記官となり[1]、このころ黒川真頼らと『旧典類纂』田制篇などの書物の編著をしている[2]

明治10年(1877年)1月19日、元老院を依願免本官となるが、同年3月1日、元老院御用掛、同年8月20日、文部省兼勤、同年10月25日には元老院権少書記官に任じられた[1][3]。晩年は東京大学で古代法制史を講じた[2]

明治12年(1879年)12月2日病死。墓は東京の谷中天王寺にある[2]

著書

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法制史・国学

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和歌

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脚注

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  1. ^ a b c d e f g 『国立公文書館所蔵 勅奏任官履歴原書 上巻』234-236頁。
  2. ^ a b c d e f g h i j 鈴木淳.『日本近世人名辞典』1103頁。
  3. ^ a b c d 『明治過去帳』新訂初版、136頁。
  4. ^ 『江戸文人辞典』406頁。

参考文献

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  • 大植四郎編『明治過去帳』新訂初版、東京美術、1971年(原著私家版1935年)。
  • 我部政男・広瀬順晧編『国立公文書館所蔵 勅奏任官履歴原書 上巻』柏書房、1995年。
  • 石川洋他編『江戸文人辞典 : 国学者・漢学者・洋学者』東京堂出版、1996年。
  • 竹内誠・深井雅海編『日本近世人名辞典』吉川弘文館、2005年。