横山忠夫
基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 北海道網走市 |
生年月日 | 1950年1月4日(74歳) |
身長 体重 |
181 cm 81 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 1971年 ドラフト1位 |
初出場 | 1972年 |
最終出場 | 1978年 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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横山 忠夫(よこやま ただお、1950年1月4日 - )は、北海道出身の元プロ野球選手(投手)。
来歴・人物
[編集]網走南ヶ丘高校では、エースとして1966年秋季北海道大会決勝に進出。札幌光星高に敗れ準優勝にとどまる。翌1967年夏の甲子園にチーム初出場。1回戦で大分商の河原明と投げ合うが、12安打を喫し0-8で大敗[1]。同年秋、サンケイアトムズ(現・東京ヤクルトスワローズ)からドラフト6位で指名されるも入団を拒否し、翌年立教大学に進学した。
同大学の硬式野球部ではエースとして活躍。東京六大学野球リーグでは優勝に届かず、1971年秋季リーグの3位が最高であった。1970年秋季リーグの東大との2回戦で、ノーヒット・ノーランを達成している[2]。リーグ通算57試合に登板、16勝26敗、防御率2.91、168奪三振を記録した。1年上のチームメートに外野手の望月充がいた。
右の本格派として期待され、1971年秋のドラフト1位指名で読売ジャイアンツに入団。川上哲治監督の期待が大きく、1年目から先発として起用されるが1勝3敗に終わる。1974年10月14日に行われた立大、巨人を通じての先輩である長嶋茂雄の現役最終試合(後楽園球場、対中日ドラゴンズ・ダブルヘッダー第2試合)では、試合の最後を締める登板を果たす。長嶋が監督に就任した1975年には、5月から先発として起用され、6月以降は4連勝を飾る。7月11日には阪神タイガースの上田二朗と投げ合い初完封を記録した。同年はシーズン8勝を挙げ堀内恒夫に次ぐ2番手投手に躍り出る。しかしチームは球団史上初の最下位に終わった。当時の投手陣10名は毎年、集まって会(サイカイ)を開いている。
翌1976年も開幕直後から先発として起用されるが成績は低迷、6月には先発を外れる。1977年は一度も一軍に上がる事ができなかった。同年オフ、巨人から戦力外通告を受けロッテオリオンズへ移籍。しかし翌1978年は僅か5試合の登板に留まり、シーズン終了後に引退した。オーバースローからシュート、カーブ、フォークを武器とした。
引退後は、「銀座木屋」うどん店で3年間修行し[3]、母校である立教大学池袋キャンパスの近くで「立山」といううどん店を独立開業して、現在に至る(店名の由来は自身の姓の捩り。本人曰く「“横”は商売上縁起が悪い文字だから」)[4][5]。
現在は立教大学野球部の同窓会長も務めている。作家の伊集院静(西山忠来)とは野球部の同期であり友人同士で、2023年に伊集院が死去するまで親交があった。
詳細情報
[編集]年度別投手成績
[編集]年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
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1972 | 巨人 | 10 | 5 | 0 | 0 | 0 | 1 | 3 | -- | -- | .250 | 135 | 28.2 | 34 | 3 | 13 | 1 | 2 | 11 | 3 | 0 | 16 | 12 | 3.72 | 1.64 |
1973 | 10 | 1 | 0 | 0 | 0 | 2 | 1 | -- | -- | .667 | 101 | 21.0 | 25 | 4 | 15 | 0 | 0 | 11 | 2 | 0 | 17 | 14 | 6.00 | 1.90 | |
1974 | 6 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 51 | 12.0 | 13 | 2 | 3 | 0 | 1 | 5 | 0 | 0 | 8 | 7 | 5.25 | 1.33 | |
1975 | 25 | 21 | 7 | 2 | 1 | 8 | 7 | 0 | -- | .533 | 568 | 140.1 | 122 | 16 | 38 | 0 | 3 | 73 | 6 | 0 | 59 | 53 | 3.41 | 1.14 | |
1976 | 14 | 6 | 0 | 0 | 0 | 1 | 4 | 0 | -- | .200 | 187 | 38.1 | 51 | 4 | 27 | 1 | 3 | 21 | 2 | 0 | 35 | 30 | 7.11 | 2.03 | |
1978 | ロッテ | 5 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 89 | 17.1 | 21 | 8 | 16 | 0 | 1 | 8 | 1 | 0 | 24 | 17 | 9.00 | 2.13 |
通算:6年 | 70 | 34 | 7 | 2 | 1 | 12 | 15 | 0 | -- | .444 | 1131 | 257.2 | 266 | 37 | 112 | 2 | 10 | 129 | 14 | 0 | 159 | 133 | 4.64 | 1.47 |
背番号
[編集]- 15 (1972年 - 1977年)
- 28 (1978年)
関連情報
[編集]関連書籍
[編集]- 『道を拓く:元プロ野球選手の転職』(長谷川晶一著、扶桑社、2024年10月、ISBN 9784594099077)
脚注
[編集]- ^ 「全国高等学校野球選手権大会70年史」朝日新聞社編 1989年
- ^ “巨人の元ドラ1投手が“打つ”絶品うどん…横山忠夫さんの店「手打うどん 立山」”. スポーツ報知 (2019年2月14日). 2019年12月17日閲覧。
- ^ うどん屋を経営する元Gドライチ横山忠夫氏が第2の人生で吹っ切れた瞬間とは?/パンチ佐藤の漢の背中!「2」
- ^ 横山忠夫の話:堀内恒夫オフィシャルブログ
- ^ 元巨人ドラ1横山氏 余命3カ月の危機を乗り越えて 妻と歩む第2の人生
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 個人年度別成績 横山忠夫 - NPB.jp 日本野球機構
- 選手の各国通算成績 Baseball-Reference (Japan)