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榎 (橘型駆逐艦)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
榎 (駆逐艦)から転送)
基本情報
建造所 舞鶴海軍工廠
運用者  大日本帝国海軍
級名 橘型駆逐艦
艦歴
計画 1944年度(昭和19年度)計画
起工 1944年10月14日
進水 1945年1月27日
竣工 1945年3月31日
除籍 1945年9月30日
その後 1951年ごろ解体
要目(計画値)
基準排水量 1,262 トン
公試排水量 1,530 トン
全長 100.00 m
最大幅 9.35 m
吃水 3.30 m
主缶 ロ号艦本式ボイラー×2基
主機 艦本式タービン×2基
出力 19,000 馬力
推進器 スクリュープロペラ×2軸
速力 27.8 ノット
燃料 重油 370 t
航続距離 3,500 海里/18ノット
乗員 211/335 名[1]
兵装
レーダー 22号電探×1基
ソナー 四式水中聴音機×1基
三式探信儀一型×1基
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(えのき)は日本海軍駆逐艦。仮称4812号艦、橘型(改松型)駆逐艦として舞鶴海軍工廠で建造された。艦名は植物のによる。艦名としては楢型駆逐艦の6番艦「」に続いて2代目。

艦歴

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竣工後、訓練部隊の第十一水雷戦隊(高間完少将)に編入。4月8日に瀬戸内海西部に回航し訓練に従事する。やがて、第十一水雷戦隊は瀬戸内海への機雷投下を避けて日本海側に移動することとなる。5月27日に舞鶴に到着するも、舞鶴鎮守府から「空襲の際に刺激となる」との理由で、舞鶴以外の場所へ移動するよう要請を受ける[2]。そこで、6月に入って小浜湾に移動することとなった[3]

6月26日昼過ぎ、小浜湾内の錨地に入泊した際に触雷する。小浜灯台の310度750メートル地点に曳航され、右に32度傾いた状態かつ艦尾を着底させ[4]艦橋の一部を水面に露出した状態で擱座した。生存者のうち負傷者は福井県立小浜中学校に収容された。「榎」はそのまま終戦を迎え、9月30日に駆逐艦籍から除籍された。

運輸省海運総局の資料によれば1948年(昭和23年)6月から7月1日に三菱七尾造船所で解体されたとされている[5]。しかし実際には榎の船体はその後も解体される事なく小浜湾に残されたままとなっており、1951年(昭和26年)4月になって折からの朝鮮特需に乗ずる形で飯野産業(旧・舞鶴海軍工廠)サルベージ部門による浮揚作業が始められたとされる。同作業は8月10日頃まで行われ、その後榎は飯野産業舞鶴造船所で解体されたとみられる[6]

駆逐艦榎慰霊碑

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1981年6月26日遺族や生存者らにより慰霊碑が、擱坐地点を見下ろす遊歩道脇に建立された[7]。碑文は以下のとおり。

第十一水雷戦隊駆逐艦榎此地に於て終焉す

太平洋戦争の戦局急を告ぐる昭和二十年六月二十六日米軍機の投下せる機雷に触雷。艦後部を大破浸水戦闘機能を喪失しあまた尊き殉國の友を失う。痛恨極まりなし。爾来三十有余年、我々元乗組員一同相諮り慰霊碑の建設を企画せり。願わくば此小碑が、駆逐艦榎、最後の地を記念し更には散華せる戦友の鎮魂の礎石として又我国の平和と繁栄を希求し萬世に亘り風光明媚な此地小浜湾の波静かならん事を願って此碑を建立す

昭和五十六年六月二十六日

歴代艦長

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※『艦長たちの軍艦史』371頁による。

艤装員長

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  1. 若松武次郎 大尉 1945年3月1日-

駆逐艦長

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  1. 若松武次郎 大尉 1945年3月31日-

脚注

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  1. ^ #S1906第11水戦日誌 (7), p.6
  2. ^ #S1906第11水戦日誌 (7), p.54
  3. ^ #S1906第11水戦日誌 (8), p.5
  4. ^ #S1906第11水戦日誌 (8), p.16
  5. ^ 福井静夫『終戦と帝国艦艇―わが海軍の終焉と艦艇の帰趨光人社、2010年12月1日。ISBN 9784769814887 
  6. ^ 「駆逐艦〝榎〟やっと浮上る」『朝日新聞福井版』1951年8月4日。
  7. ^ 小浜湾で大破し乗組員36人が死亡した駆逐艦「榎」元乗組員に聞く 福井」『産経新聞』2015年7月11日。 

榎を題材とした作品

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  • 演劇『海ゆかば水づくかばね―悲劇の駆逐艦「榎」―』1979年、劇の会「久須夜」(現・劇団久須夜)
  • 漫画『榎がいた海 駆逐艦榎の最後』2019年、漫画・永月にに、企画・福井県立小浜中学校併設中学校卒業「榎会」 - 上記の演劇を原案とした作品。

参考文献

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  • 海軍歴史保存会『日本海軍史 第7巻』第一法規出版、1995年
  • 片桐大自『聯合艦隊軍艦銘銘伝』光人社、1993年。 ISBN 4-7698-0386-9
  • 外山操『艦長たちの軍艦史』光人社、2005年。 ISBN 4-7698-1246-9
  • 永月にに、福井県立小浜中学校併設中学校卒業「榎会」『榎がいた海 駆逐艦榎の最後』(榎会事務局、2019年)
  • 福井静夫『終戦と帝国艦艇 わが海軍の終焉と艦艇の帰趨』出版協同社、1961年
  • 歴史群像編集部『歴史群像太平洋戦史シリーズVol.43 松型駆逐艦』学習研究社、2003年。 ISBN 4-05-603251-3
  • アジア歴史資料センター(公式)(防衛省防衛研究所)
    • 『昭和19年6月1日~昭和20年6月30日 第11水雷戦隊戦時日誌(7)』。JACAR:C08030128000 
    • 『昭和19年6月1日~昭和20年6月30日 第11水雷戦隊戦時日誌(8)』。JACAR:C08030128100