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榎並町

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
えなみちょう
榎並町
廃止日 1925年4月1日
廃止理由 編入合併
西成郡・東成郡計17町27村→大阪市
(大阪市第二次市域拡張)
現在の自治体 大阪市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 近畿地方
都道府県 大阪府
東成郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
総人口 5,980
国勢調査1920年
隣接自治体 大阪市北区)、東成郡城北村古市村鯰江町
榎並町役場
所在地 大阪府東成郡榎並町大字野江中之町
座標 北緯34度42分31秒 東経135度32分25秒 / 北緯34.70856度 東経135.54017度 / 34.70856; 135.54017座標: 北緯34度42分31秒 東経135度32分25秒 / 北緯34.70856度 東経135.54017度 / 34.70856; 135.54017
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榎並町(えなみちょう)は、大阪府東成郡にあった。現在の大阪市城東区都島区の各一部にあたる。

歴史

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村名は中世の荘園名「榎並荘」に由来する。茨田堤の築造によって河内湖淀川の間に形成された干拓地で、淀川の南を意味する「江南」に「榎並」の字を当てたとする説がある。

沿革

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  • 1889年明治22年)4月1日 - 町村制施行により、東成郡野江村、内代(うちんだい)村、関目村が合併して榎並村が発足。大字野江に村役場を設置。
  • 1914年大正3年)10月1日 - 町制を施行して榎並町となる。同時に大字野江を野江巽角、野江南之町、野江中之町、野江東之町に改称して6大字となる。大字野江中之町に町役場を設置。
  • 1925年(大正14年)4月1日 - 大阪市に編入され、東成区巽町、野江町、内代町、関目町となる。
  • 1932年昭和7年)10月1日 - 分区により、旭区へ転属。
  • 1936年(昭和11年) - 巽町、野江町を野江西之町、野江中之町、野江東之町に改称。
  • 1943年(昭和18年)4月1日 - 分区により、野江西之町、野江中之町、野江東之町、関目町が城東区へ、内代町が都島区へそれぞれ転属。

交通

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鉄道路線

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現在は上記の他に京阪本線関目駅Osaka Metro谷町線野江内代駅今里筋線関目成育駅JRおおさか東線JR野江駅が所在するが、当時は未開業。

参考文献

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関連項目

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