楠城嘉一
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楠城 嘉一(くすき かいち、1883年〈明治16年〉10月3日[1] - 1942年〈昭和17年〉[2])は、大正から昭和時代前期の政治家、銀行家。鳥取県鳥取市長。旧姓は西垣[3]。
経歴
[編集]西垣新次郎の三男として鳥取県八頭郡隼村(現・八頭町)に生まれ[1]、楠城勘太郎の養嗣子となる[3]。1917年(大正6年)10月、鳥取市会議員に当選し、以来1927年(昭和2年)12月まで在職する[1]。ほか、協立銀行取締役、鳥取市参事会員、鳥取市会議長などを歴任し、1927年(昭和2年)12月20日、鳥取市長に就任した[1]。
市長在職中は、下水道の新設、鳥取市立病院の設置、市立高等女学校・青年学校の新設、鳥取放送局の設置などに尽力した[1]。
脚注
[編集]- ^ a b c d e 帝国自治協会 1938, 48頁.
- ^ 『全国歴代知事・市長総覧』日外アソシエーツ、2022年、323頁。
- ^ a b 人事興信所 1928, ク33頁.
参考文献
[編集]- 人事興信所『人事興信録 第8版』人事興信所、1928年 。
- 帝国自治協会『全国市長銘鑑 : 自治制実施五十周年記念』帝国自治協会、1938年 。