植松又次
植松 又次(うえまつ またじ、1910年(明治43年)9月15日 - 2006年(平成19年)6月22日)は、日本の郷土史家。山梨県の郷土研究を行う。
略歴
[編集]山梨県北巨摩郡津金村(現在の北杜市須玉町)に生まれる。山梨県師範学校本科一部・同校専攻科を卒業後、西八代郡高田村(現・市川三郷町)の高田小学校、山梨県女子師範学校附属小学校に勤務し初等教育に携わり、1948年(昭和23年)には東山梨郡後屋敷村(現・山梨市)の後屋敷小学校、塩山市立北小学校、山梨市立八幡小学校において教頭職を務め、1966年(昭和41年)に東山梨郡牧丘町の牧丘町立牧丘第二中学校(現在・山梨市立牧丘第二中学校)校長で退職。
教職の傍ら郷土研究を手がけ、地質学、植物学など自然科学分野の研究を行い、1934年(昭和9年)には『地質学雑誌』に処女論文「御坂山脈北麓の氷河によるらしき堆積物」を発表する。そのほか、寺院建築や民家、仏像彫刻、金工、石造美術、経典、聖教など美術史分野の研究を行う。1938年(昭和13年)には第三回夏草若彦道中(8月6日~8月11日)において「郷土の五輪塔に就いて」を報告する。
翌1939年(昭和14年)には山梨郷土学会が発足し、夏草道中の講師を務める。戦後の1946年(昭和21年)には山梨郷土学会・山梨郷土文化研究座談会が統合して山梨郷土研究会が発足し、理事・常任理事を務める。1974年(昭和49年)7月には山梨郷土研究会第四代理事長に就任し、1995年(平成7年)まで務める。
戦後は山梨県の文化財行政に携わり、1957年(昭和32年)には山梨県文化財調査委員・山梨県文化財保護審議委員を務めるほか、山梨市や塩山市(現在・甲州市)、甲府市、敷島町(現在・甲斐市)などの文化財審議委員も務めた。1990年(平成2年)から開始された『山梨県史』の編纂においては文化財部会の会長を務める。
1976年(昭和51年)には山梨県政功績者として、また1978年(昭和53年)には文化庁による表彰を受け、同年には山梨郷土研究会の甲斐新書2『甲斐の石造美術』を刊行し、昭和54年に郷土研究部門における第三回野口賞を受賞。その後、1986年(昭和61年)には勲五等双光旭日章を受章している。
参考文献
[編集]- 『甲斐 第116号』山梨郷土研究会、2008年