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森脇・山田のパニックしようぜ!東京ハラギャーテーズ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
森脇・山田のパニックしようぜ!
東京ハラギャーテーズ
ジャンル バラエティ
放送方式 生放送
放送期間 1990年10月13日 - 1991年3月30日
放送時間 土曜日23:00 - 25:00(120分)
放送回数 25
放送局 ニッポン放送
パーソナリティ 森脇健児
山田雅人
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森脇・山田のパニックしようぜ!東京ハラギャーテーズ』(もりわき やまだの パニックしようぜ とうきょうハラギャーテーズ)は、かつてニッポン放送の毎週土曜日の23:00 - 25:00(JST)の時間帯で放送されていたラジオ番組

放送期間は1990年10月13日から1991年3月30日までの約6か月間。

概要

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この直前まで『ざまぁKANKAN!』(よみうりテレビ)の司会を務め、関西圏で絶大な人気を得た森脇健児山田雅人の二人をパーソナリティに迎えた番組で、実質上二人にとって初めて東京へ来てのレギュラー番組となった(この前には『腹よじれAGOHAZUSHI連盟』のレギュラー出演があったが、この時はラジオ大阪から中継での出演だった)。リスナーからの電話を受け付けるコーナーとしては前番組『青春コール東京ハラギャーテーズ』には『いきなりナイトコールクラブ』があったが、この番組にも『パニックテレホン』というコーナーがあった。ただ、前番組とはやや違い、二人のパーソナリティを前面に押し出した形の番組となった。

コーナーのうち、『シャワータイム』『連想でポン』のコーナーでは、前番組を大きく上回る数のゲスト(録音出演含む)が出演、番組を盛り上げていた。また24:30頃からの『ロッテ ハートでBANBAN』(東海ラジオラジオ大阪と同時ネット)は前番組から継続された。

しかし本番組は約6か月で終了した。なお後番組『東京サウンドバズーカ音姫絵巻』では音楽バラエティ番組[1]となり、『燃えよせんみつ足かけ二日大進撃』以来この番組まで続いて来た従来のバラエティ路線は一旦方向転換することとなった。

主なコーナー

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  • パニックテレホン
  • シャワータイム
    • 森脇のアイデアによるコーナー。森脇とゲストが一緒に裸でシャワーを浴びているという想定で、時々エッチなトークも飛び出していた[2]
  • 私だけの青春ストーリー
  • 連想でポン
  • 松竹ギャグ百連発
  • 健児のギャンブルパーティー
  • 青春ギャンブラー
    • 山田のアイデアによるコーナー。「その週に発売されたCDのうち、どれが売り上げトップになるか」などあらゆることをテーマに、その対象となるものを競走馬に見立てて、リスナーはどれが一番になるかを予想。山田が競馬中継風に架空の実況中継を行った[2]

ゲスト

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脚注

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  1. ^ ラジオ新番組速報版三才ブックス) 1991年春号での『東京サウンドバズーカ音姫絵巻』紹介記事より。
  2. ^ a b 明星集英社)1991年3月号「雄叫びラジオ」p.202
ニッポン放送 土曜日23:00 - 25:00枠
前番組 番組名 次番組
森脇・山田のパニックしようぜ!東京ハラギャーテーズ