森田安次
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森田 安次(もりた やすじ、1912年10月14日 - 1959年8月11日)は、日本の書家。
経歴
[編集]- 1912年(大正元年) 静岡県榛原郡初倉村(現島田市)で生まれる。6人兄弟の2番目(四男)[1]。出生名、「河村 安次」。
- 1919年(大正8年)小学校1年の時、初初「オメデタウ」が一等となる。これをきっかけに手習いに興味を持ち始める。
- 1921年(大正10年)小学校3年の時より競書雑誌へ出品を始める。小学校5年からは、一般の部へも出品す。
- 1925年(大正14年)小学校6年の時より沖六鳳、高塚竹堂、安藤梅雪に師事。
- 1927年(昭和2年) 静岡県静岡師範学校に入学。かな書きがおもしろくなり、 平尾花笠に師事する。
- 1927年 和歌一首の天覧を賜る。
- 1932年(昭和7年) 静岡県静岡師範学校を卒業し、教師となる。
- 1934年(昭和9年) 結婚し、森田へと姓が変わる。静岡市に移る。
- 1940年(昭和15年) 中国へ渡航し、北京と天津で居留民や将兵などに書道を指導する。
- 1944年(昭和19年) 中国より帰国。
- 1945年(昭和20年) 手嶋右京、上田桑鳩に師事。現代文に興味を持つ。毎日書道展に出品を始める。
- 1949年(昭和24年) 毎日書道展で新傾向の書「風の又三郎」が特選となる。
- 1952年(昭和27年) 静岡県教育研究所募集の論文「書くことの変遷と今後の留意点」が1位に入選。
- 1953年(昭和28年) 独立書人団の会員となり、第1回独立展に「四季の雨」出品。
- 1954年(昭和29年) 第2回独立展に出品した六幅対の「水」が会員奨励賞となる。毎日書道展、独立展の審査員となる。
- 1957年(昭和32年) 「風の又三郎」がアメリカで展示される。外国に日本の書が知られるようになる。
- 1959年(昭和34年) 「現代詩書展」開催、詩人や書人たちとの共催。「近代短歌集」の中から好きな歌を選んで半紙大の作品にした。
- 1959年 「かな書道研究会」を発足。第3回開催前の研修に訪れた湯河原で、夕食中に狭心症となり、逝去。享年46。
作品
[編集]- 国歌(天覧作品)
- 花と星(土井晩翠)
- 風の又三郎(宮澤賢治)
- 四季の雨
- 天地の境
- 晴間(三木露風)
- ふるさと
- 落葉松(北原白秋)
- 茶摘み
- 新古今集
- 枕草子
- 絵本のような字本(宮沢賢治の「十一月三日」)
出版
[編集]- 安の日記(2012年・静岡新聞社) 森田が小学生から中学生にかけて過ごした大正14年に「小学生日記」に綴った日記
関連項目
[編集]脚注
[編集]- ^ 他に4人の兄弟がいたが、いずれも生後すぐに亡くなっている。