森啓蔵
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森 啓蔵(もり けいぞう、1881年(明治14年)2月[1][2] - 没年不明)は、日本の実業家。
経歴
[編集]鳥取県西伯郡夜見村(現・米子市夜見町)出身。森磯吉の二男[1][2][3]。1905年、東亜同文書院政治科(第2期生)を卒業[1][2][4]。陸軍通訳官、満鉄奉天駅貨物主任、山東鉄道事務官等を歴職、1922年(大正11年)に辞す[3]。
銀行会社の重役である[1][2]。洞海汽船[2]、昭和商事[3]各社長、洞海汽船専務[3]、山陰銀行代表取締役[1]・同専務[3]、山九運輸取締役、日本産業貯蓄銀行、山陰製糸所各監査役などをつとめる[1]。
人物
[編集]日本産業貯蓄銀行専務の門脇孝一、その妹婿で同行監査役の森啓蔵らにかかる産貯行金横領、背任事件で、1933年(昭和8年)9月に森啓蔵は検事の取り調べを受け勾引状を発せられ、刑務所へ収容された[5]。
趣味は庭球、柔道、短艇[3]。宗教は浄土宗[3]。住所は兵庫県武庫郡精道村[1](現・芦屋市)、鳥取県西伯郡夜見村[2]、東京市麻布区市兵衛町二丁目[3](現・東京都港区)。
家族・親族
[編集]- 森家
- 親戚
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g h i j 『人事興信録 第9版』モ25頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年7月13日閲覧。
- ^ a b c d e f g h 『人事興信録 第8版』モ24頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年7月13日閲覧。
- ^ a b c d e f g h 『大衆人事録 第10版』モ20頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年10月8日閲覧。
- ^ 『會員名簿 大正十二年十一月現在』東亜同文書院卒業生氏名期別表 196頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年10月8日閲覧。
- ^ 『銀行犯罪史』207 - 208頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年10月3日閲覧。
参考文献
[編集]- 『會員名簿 大正十二年十一月現在』上海東亞同文書院同窓会、1923年。
- 人事興信所編『人事興信録 第8版』人事興信所、1928年。
- 人事興信所編『人事興信録 第9版』人事興信所、1931年。
- 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第10版』帝国秘密探偵社ほか、1934年。
- 銀行問題研究会編『銀行犯罪史』銀行問題研究会、1936年。