棚橋寅五郎
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棚橋 寅五郎(たなはし とらごろう、1866年10月12日(慶応2年9月4日)- 1955年(昭和30年)12月11日)は、日本の化学者[1][2]、実業家である[1]。
経歴・人物
[編集]新潟に生まれる[1][2]。後に東京帝国大学(現在の東京大学)応用化学科に所属し、ヨウ素の研究に尽き[2]、特に海藻から抽出された医薬品用のヨードを生産した[3][4]、ヨウ化カリウムの製造方法の研究によって有名となった[2]。なおこの化合物は後にマッチ製造の原料にもなった[3]。その後も硝酸カリウムや塩化カリウム[2][4]、クロム酸塩等の研究や開発に携わり[2][3]、同化合物を用いた肥料も開発した[2]。またこの頃に工学博士を取得している[4]。
1893年(明治26年)に卒業後は多くの企業の設立に携わり[2][3]、1908年(明治41年)には日本化学工業の設立に携わった[1][2]。この業績を皮切りに後に旭電化(現在のADEKA)や北海電気興業[1][2]、昭和特殊製鋼[2][4]、日本製錬鉱業[2][4]、化学工業日報等多くの企業の創設に携わった[2]。これによって、1939年(昭和14年)に「日本の十大発明家」に認定され[2]、昭和天皇との賜餐にあたった[2]。墓所は青山霊園(1イ3-1)
著書
[編集]- 『化学工業六十年』