梶秀逸
表示
梶 秀逸 | |
---|---|
生誕 |
1899年4月25日 日本 香川県 |
死没 | 1988年3月12日(88歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1920年 - 1945年 |
最終階級 | 陸軍少将 |
梶 秀逸(かじ しゅういち、1899年(明治32年)4月25日[1] - 1988年(昭和63年)3月12日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。功四級[2]
経歴
[編集]1899年(明治32年)に香川県で生まれた[1]。陸軍士官学校第32期、陸軍大学校第39期卒業[1]。1939年(昭和14年)3月に第116師団参謀(第13軍)に就任し[2]、日中戦争に出動[1]。安慶に駐屯し、皖南作戦などに参加した[1]。1940年(昭和15年)12月に参謀本部通信課長に就任し[2]、1941年(昭和16年)3月に陸軍大佐に進級した[2]。
1943年(昭和18年)6月に船舶参謀に就任し[2]、1944年(昭和19年)4月14日に兼陸軍運輸部附となり[3]、12月30日に船舶兵器部長兼野戦船舶本廠長(兼陸軍運輸部附如故)に就任した[4]。1945年(昭和20年)3月1日に陸軍少将に進級し[2]、3月16日に野戦船舶本廠長に任命され、免兼となった[5]。
1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[6]。
脚注
[編集]- ^ a b c d e f 福川 2001, 204頁.
- ^ a b c d e f 外山 1981, 440頁.
- ^ 「第70号 昭和19年4月15日 陸軍異動通報」 アジア歴史資料センター Ref.C12120907100
- ^ 「第279号 昭和19年12月31日 陸軍異動通報」 アジア歴史資料センター Ref.C12120929600
- ^ 「第61号 昭和20年3月16日 陸軍異動通報」 アジア歴史資料センター Ref.C12120936500
- ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、「昭和二十二年十一月二十八日 仮指定者」53頁。
参考文献
[編集]- 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738。
- 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026。