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梅月致定

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
梅月致定
時代 戦国時代
生誕 不明
死没 不明
別名 新三[1]
主君 周防大内氏
氏族 梅月氏
父母 父:梅月頼致[1]
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梅月 致定(ばいげつ むねさだ)は、戦国時代武将周防大内氏の家臣。

経歴

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天文年間初め(1530年代前半)頃、筑前国志摩郡柑子岳城を大内氏が乗っ取り、城普請を行う[2]。致定は父の梅月頼致に従い、石見国高城(三隅城)から柑子岳城に移り、天文4年(1535年)、父が隠居すると城代となる[1]。天文7年(1538年)在番中に豊後国より大友氏が攻め入った際、致定は早良郡安楽平城に退き、同城代の大村興景と共に城を守った[1]。しかしその後、志摩郡は大友氏の勢力下となり、臼杵鎮続が志摩郡代を兼ねて柑子岳城に入った[1][2]

脚注

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参考文献

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  • 阿部猛; 西村圭子『戦国人名事典』新人物往来社、1987年。ISBN 4404014120 
  • 福岡県糸島郡教育会『糸島郡誌』福岡県糸島郡教育会、1927年https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1186769