桑原神社 (常総市)
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桑原神社 | |
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所在地 | 茨城県常総市国生1186 |
位置 | 北緯36度07分57.6秒 東経139度56分36.4秒 / 北緯36.132667度 東経139.943444度座標: 北緯36度07分57.6秒 東経139度56分36.4秒 / 北緯36.132667度 東経139.943444度 |
主祭神 |
豊城入彦命 天熊人 |
社格等 |
式内社 郷社 |
創建 | 宝亀3年(772年) |
本殿の様式 | 流造 |
別名 | 香取大明神 |
例祭 | 11月11日 |
地図 |
桑原神社(くわばらじんじゃ)は、茨城県常総市の鬼怒川沿いにある神社。祭神は豊城入彦命、天熊人の2柱。下総国岡田郡の式内社で、旧社格は郷社。旧岡田郡・豊田郡の総社。
由緒
[編集]天智天皇の第7皇子「志貴皇子」の孫、下総国の国司「桑原王」が宝亀3年(772年)3月、鬼怒川西岸の本屋敷と呼ばれた台地に、祖である「豊城入彦命」、「天熊人命」を守護神として祀ったことが起源と伝えられている。本屋敷には、古来から大きな集落があり、高さ10mの前方後円墳「東山塚」があった。現在は、近代の堤防工事で削られ、なくなっている。 昌泰年間(898年~901年)には、平良将が当社の鎮座していた字本屋敷に下総国亭を置き、政治の拠点とした。平将門も父親の平良将と共に本屋敷を拠点とし、当社を崇敬した。[1]
水害等で住民が字本屋敷から西側へ移動したため、当社も延宝6年(1678年)に現在地に遷座した。
正徳2年(1712年)、社号「香取社」として正一位に昇格した。
享保4年(1719年)には、寛永2年(1625年)の棟札「日本国関東下総国生桑原大明神造立一宇」が本殿建て替え時に発見され、宝暦8年(1758年)に寺社奉行から延喜式内「桑原神社」と認められた。それ以降、社号「桑原神社」に復称した。[1]
明治42年(1909年)2月には、以下の2社を本殿に合祀した。[2]
- 日枝神社
- 佐田彦神社
社格
- 貞観17年(875)12月5日 - 正六位上[3]
- 正徳2年(1712年) - 正一位(香取社)[1]
- 明治6年(1873年) - 郷社[4]
- 明治40年(1907年)5月13日 - 神饌幣帛料供進社[4]
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鳥居
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拝殿の扁額
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本殿
祭神
[編集]主祭神
配祀神
境内社
[編集]鳥居を潜った参道の奥に鎮座。
- 香取社
社殿正面に向かって、右側に鎮座。
- 大杉社
- 四社宮
社殿正面に向かって、左側に鎮座。石祠群の中には、社号が明記られていない2社がある。
- 庚申社
- 稲荷社、日枝社
- 天神社、八坂社、八幡社、愛宕社
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香取社
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大杉社、四社宮
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庚申社
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境内社群
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境内社群の左側
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境内社群の右側
- 例大祭(11月11日)