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桑世傑

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

桑 世傑(そう せいけつ、生年不詳 - 1358年)は、末の軍人本貫無為州無為県

生涯

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1355年至正15年)、兪通海・趙普勝らとともに巣湖から朱元璋に帰順した。趙普勝には二心があり、世傑がそれを暴いたので、趙普勝は離反して去った。世傑は朱元璋に従って長江を渡り、舟師を率いて元の水軍を撃破した。これにより秦淮翼元帥に任じられた。1356年(至正16年)、鎮江を下し、金壇丹陽を攻略して回った。1357年(至正17年)、寧国の長槍諸軍を攻め、水陽を落とし、常州を平定した。判行枢密院事とされた。江陰宜興の地を攻略した。

ときに張士誠が長江を渡って平江を占領すると、元帥の欒瑞を派遣して石牌に駐屯させていた。1358年(至正18年)、世傑は朱元璋の命を受けて廖永安とともに石牌を攻撃し、戦死した。功績により安遠大将軍・軽車都尉の位を追贈され、永義侯に追封された。

子の桑敬は官を歴任して都督府僉事となり、徽先伯に封じられたが、藍玉の獄に連座して刑死した。

参考文献

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  • 明史』巻133 列伝第21