桂川甫策
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桂川 甫策(かつらがわ ほさく、天保3年(1832年) - 明治23年(1890年)10月19日)は、幕末から明治の洋学者・医師・化学者。
桂川甫賢の次男で、蘭学の家として知られる桂川家の8代目。幼名辰次郎(達次郎)後に甫策。本姓は中原、諱は国幹(くにもと)。字は和春。号は淳斎。
略歴
[編集]- 1832年(天保3年)江戸築地に生まれる [1]。
- 1855年(安政2年)「和蘭字彙」の改訂・編集を始める。後に足立寛や柳河春三、石井謙道なども参画[2]。
- 1862年(文久2年12月)宇都宮三郎の推挙で蕃書調所教授手伝出役兼化学[3]。
- 1863年(文久3年)蕃書調所が開成所と改称されて教授手伝出役(蘭学化学二科教授方、仏学教授出役)となる。「官板元素通表」が開成所の教材となる[4]。9月辻理之助(後の辻新次)が開成所精錬方世話心得に任じられる[5]。
- 1865年(慶応元年)ジャパンタイムスを「日本新聞」、ジャパンヘラルドを「日本新聞外編」に訳出する[6]。4月ロシア留学生市川文吉の壮行会に出席し、オランダ語で送別文を贈る[7][8]。
- 1866年(慶応2年)9月辻理之助が開成所化学教授手伝並出役。
- 1867年(慶応3年)クーンラート・ハラタマKoenraad W.Gratamaが江戸へ出てきて、9月開成所内の新しい理化学校の建設工事が始まるが、上野戦争勃発により頓挫する。この間、ハラタマより伝習を受ける[9]。
- 1868年(明治元年)御一新により兄桂川甫周は江戸へ残って隠棲し、甫策が家名を継ぐ。10月19日西周らと沼津へ移り[10]、「徳川家兵学校」の化学方教授となる。
- 1869年(明治2年)1月「徳川家兵学校」は「沼津兵学校」と改称され化学方となるが、後にこの化学方が閉鎖されて「沼津病院」の三等医師となる[11][12]。「化学入門 初編」が出版され、これは上等小学の化学の教科書として指示される[13]。
- 1870年(明治3年)沼津から上京し、大学南校の化学教授となる。
- 1872年(明治5年)太政官正院八等翻訳御用。文部省少翻訳官。
- 1873年(明治6年)加藤宗吉ともに私学「開物学舎」の開学願書を提出する。宇都宮三郎らとともに化学を教授[14]。
- 1877年(明治10年)西南戦争を契機にして、公職を退き翻訳に専念する。
- 1881年(明治14年)牛込区天神町の甫策宅で兄桂川甫周が没する。
- 1890年(明治23年)10月19日没。享年59。長男甫安が家名を継ぐ。芝二本榎の上行寺に葬られる(後に伊勢原市へ移転)。法名秋蘭日芳
家族・知人
[編集]- 父は幕府奥医外科法眼の桂川甫賢国寧、叔父に幕府番医外科の鹿倉以安格正。
- 兄は7代目甫周。甫周に男子がなかったため(女子には今泉みねがいる)、弟の甫策を養って8代目とした[15][16]。
- 姉に大奥で御中﨟を務めた桂川てや[17]。
- 弟は幕府陸軍副総裁を務めた藤沢次謙(国謙))、義弟に軍艦奉行木村芥舟がいる[18][19]。
- 蕃書調所以来の同僚に辻新次がいる[20][21]。
- 交流した人物には、宇都宮三郎の他に荒井郁之助、石井謙道、大隈重信、大築尚志、川本幸民、佐沢太郎、杉田玄端、杉山親(安親)、竹原平次郎(石橋八郎)、田口卯吉、坪井信良,西周、松本良甫、三崎尚之(嘯輔)、箕作麟祥、柳河春三らがいる。
著書
[編集]- 官板法朗西単語篇(1862)
- 法朗西文典字類(1866)
- 官許英吉利単語篇(1866)
- 英仏単語篇注解(1867)
- 英仏単語便覧(1868)
- Deutsche Grammatik(ドイツ語文法)(年未詳)
- 重訳化学通覧(1861)
- 官板元素通表(1863)
- 化学入門 初編・後編・外編(1867~1873)
- 化学新論問答(1875)
- 小学用書理学提要 初編・二編(1873)加藤宗甫訳・桂川甫策閲
- 試験階梯(1874)三崎尚之訳・桂川甫策校
- 器械撮説(1875)加藤宗甫訳・桂川甫策閲
- 火薬新論(刊年未詳)石橋八郎訳・桂川甫策閲
脚注
[編集]- ^ 今泉源吉『蘭学の家桂川の人々 最終編』、1969年 篠崎書林
- ^ 杉本つとむ『江戸時代蘭語学の成立とその展開 Ⅳ 蘭語研究における人的要素に関する研究』、1981年 早稲田大学出版部
- ^ 名古屋汲古会『宇都宮氏経歴談』、昭和7年 交詢社
- ^ 辻新次吾『邦化學之起源』、明治15年 東京化學會誌 第3帙 第2冊
- ^ 樋口勘治郎『信松先生錫爵録』、1912年 樋口勘治郎版
- ^ 尾佐竹猛『新聞雑誌の創始者柳河春三』、1985年 湖北社
- ^ 山岸光宣編『幕末洋学者欧文集』、昭和15年 弘文荘
- ^ 宮永孝『幕末おろしあ留学生』、1991年 筑摩書房
- ^ 芝哲夫『ハラタマの来日とその業績』、1985年 日蘭学会会誌 9巻2号
- ^ 大久保利謙編『西周全集 第3巻』、1966年 宗高書房
- ^ 沼津市明治史料館編『図説沼津兵学校』、2010年 沼津市明治史料館
- ^ 樋口雄彦『旧幕臣の明治維新 沼津兵学校とその群像』、2005年 吉川弘文館
- ^ 海後宗臣編『日本教科書大系 近代編 第24巻 理科四』、昭和42年 講談社
- ^ 東京都立教育研究所編『東京教育史資料大系 第1巻』、昭和46年 東京都立教育研究所
- ^ 今泉みね『名ごりの夢―蘭医桂川家に生まれて』、昭和38年 平凡社
- ^ 『文化生活』1922年8月
- ^ 安藤優一郎『大奥の女たちの明治維新 幕臣豪商大名―敗者のその後』、2017年 朝日新聞出版
- ^ 安西愈『勝海舟の参謀藤沢志摩守』、昭和49年 新人物往来社
- ^ 土居良三『軍艦奉行 木村攝津守』、1994年 中公新書
- ^ 樋口勘治郎『信松先生錫爵録』、1912年、38頁
- ^ 安倍季雄『男爵辻新次翁』、1987年 大空社