柵瀬軍之佐
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柵瀬 軍之佐(さくらい ぐんのすけ、1869年2月24日(明治2年1月14日[1]) - 1932年8月28日)は、日本の政治家。元立憲民政党衆議院議員(6期)。台湾を中心とした植民地事業で財を成した企業家であり、32社の経営に関わった[2]。
経歴
[編集]岩手県西磐井郡中里村(現:一関市)出身。1889年英吉利法律学校(現:中央大学)卒。山梨日々新聞主筆、東京毎日新聞編集長などを経て、大倉組台湾支店支配人、合名会社柵瀬商会を設立した。1910年の第10回衆議院議員総選挙で初当選。以来6回当選。加藤高明内閣と第1次若槻内閣で商工政務次官を務めた。
脚注
[編集]- ^ 衆議院『第四十九回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1924年、21頁。
- ^ 大正期における企業家ネットワークの研究─『日本全国諸会社役員録』(大正10年版)の分析鈴木恒夫,小早川洋一『学習院大学 経済論集』第51巻 第2号(2014年7月)
参考文献
[編集]- 『議会制度百年史 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年11月。
外部リンク
[編集]- 柵瀬軍之佐君日本工業倶楽部『会員追悼録』昭和9