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柴田徳文

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

柴田 徳文(しばた とくぶみ、1946年昭和21年〉6月17日 - 2021年令和3年〉4月6日)は、日本国際政治学者国士舘大学名誉教授国士舘舘長。専門は日本国際政治史、国際政治理論。

経歴

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東京都出身。国士舘中学校・高等学校を経て、1969年、国士舘大学政経学部政治学科卒業。学校法人国士舘専任職員として入職[1]

1971年、国士舘大学大学院政治学研究科修士課程修了[2]。1975年、同博士課程満期退学、国士舘大学政経学部助手[2]。1978年、セント・ジョーンズ大学M.A.(Master of Arts[2]

2001年、国士舘大学政経学部教授[2]。まで国士舘短期大学副学長(1983年 - 1990年)、国士舘大学副学長(1984年 - 1990年、2015年12月 - 2017年3月)、学校法人国士舘理事(1983年 - 1987年)、学校法人国士舘評議員(1983年 - 1996年)を歴任[2]

2017年、国士舘大学を定年退職し、国士舘大学名誉教授となる[1]。翌年4月1日、国士舘舘長就任[1]

2021年(令和3年)4月6日、多発性骨髄腫のため死去[3][4]

親族

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所属学会等

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著作

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翻訳

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論文

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  • ハル・ノートは最後通牒だったのか:2006/02
  • 東京裁判におけるパリ不戦条約の適用:2002
  • 東京裁判における幣原外交:1998
  • 東京裁判における九カ国条約:1997
  • 東京裁判における関特演の侵略性の立証:1996
  • 日本の在満権益は侵略によるものか:1995 東京裁判における1915年の日華諸条約・交換公文の理解についての孝察:1994
  • スティムソンの満州事変観の検討:1993
  • アメリカのパナマ侵攻に見る自衛権-満州事変における日本の行動を比較して-:1992
  • アメリカのパナマ侵攻と満洲事変:1991

関連項目

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脚注

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  1. ^ a b c 国士舘大学新聞 第512号〈2〉”. 国士舘大学 (2018年4月25日). 2021年4月7日閲覧。
  2. ^ a b c d e 『国士舘大学政治研究』8巻 4ページ 柴田徳文教授 略歴と業績”. 国士舘大学政経学部附属政治研究所 (2017年3月9日). 2021年4月7日閲覧。
  3. ^ 舘長柴田德文氏逝去 合同葬600人が悼む  令和3年(2021年)4月25日(日曜日)第524号”. 国士舘大学新聞. 2021年8月23日閲覧。
  4. ^ “柴田徳文氏死去(学校法人国士舘館長)”. 時事通信社. (2021年4月7日). https://web.archive.org/web/20210407140841/https://www.jiji.com/jc/article?k=2021040701019&g=obt 2021年4月7日閲覧。 

参考文献

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  • 『人事興信録』柴田梵天の項 

外部リンク

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