柴原政太郎
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柴原 政太郎(しばはら まさたろう、1852年(嘉永5年1月[1][2])- 1940年(昭和15年)4月25日[2])は、明治から昭和時代前期の政治家、実業家。製塩家。衆議院議員(1期)。
経歴
[編集]志賀源作の三男として備前岡山藩領和気郡に生まれ、1870年(明治3年)9月、赤穂郡塩屋村(岡山県赤穂郡赤穂町を経て現赤穂市)の柴原政右衛門の死跡を相続する[1]。漢学を修める[2]。製塩業を営む[1][2]。1871年(明治4年)赤穂郡の塩田取締となり、1874年(明治7年)戸長に就任する[1]。郡内7箇村戸長に挙げられるが、1883年(明治16年)5月に脳充血により職を辞した[3]。ほか、赤穂鉄道社長、同相談役を歴任した[2]。
1888年(明治21年)兵庫県会議員に当選[4]。1890年(明治23年)7月の第1回衆議院議員総選挙では兵庫県第8区から出馬し当選[2]。衆議院議員を1期務めた[2]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 大久保利夫『衆議院議員候補者列伝 : 一名・帝国名士叢伝 第2編』六法館、1890年 。
- 衆議院、参議院 編『議会制度七十年史 第11』大蔵省印刷局、1962年 。