柳田和洋
この記事のほとんどまたは全てが唯一の出典にのみ基づいています。 (2021年9月) |
柳田 和洋(やなぎた かずひろ、1973年1月11日 - )は日本の実業家で、元サッカー選手。「テゲバジャーロ宮崎」の創始者。宮崎県門川町出身。JFAスポーツマネージャーズカレッジCrade3修了。一般社団法人宮崎県サッカー協会専務理事、WEリーグ入りを目指す「ヴィアマテラス宮崎」の理事兼ゼネラルマネージャーを務める。
来歴
[編集]宮崎県門川町に生まれる[1]。母親の勧めでサッカー少年団に入り、サッカーを始める[2]。宮崎県立日向高等学校在学当時はサッカー部で主将を務めたもののサッカー選手志望ではなかったが、監督から大学の世話をするから続けるようアドバイスされた[2]。高校の同窓生に元読売ジャイアンツの織田淳哉がいる[2]。
高校卒業後、名古屋商科大学に進む[1]。大学のサッカー部ではFWとなり、1年生からレギュラー選手の座をつかんだ[1][2]。
1995年に宮崎県に帰郷して建設業の職に就いた[1][2]。1年ほどサッカーから離れたが、宮崎県サッカーリーグに招かれ、その後プロフェソール宮崎FCに移る[2][3]。しかし、自らチームをマネジメントすることを志望した[2]。
1999年、門川クラブの選手兼監督に就任し、クラブは2003年に宮崎県サッカーリーグに昇格した。クラブは名称をAndiamo門川(2004年)、MSU FC(2007年)と変更した後、2008年に宮崎県リーグ1部へ昇格を果たす[1]。
2010年にはMSU FCを九州リーグ昇格に導くが、2013年に県リーグに降格する[1]。これを契機に「JFA SPORTS MANAGERS COLLEGE」でスポーツマネジメントを学び、翌年再昇格した[1]。
2015年、クラブ名をテゲバジャーロ宮崎に変更し代表に就任する[1]。テゲバジャーロ宮崎は2018年にJFL(日本フットボールリーグ)への昇格を果たす。また、同年の第73回国民体育大会(福井県)において、宮崎県成人の部の監督を務め、3位に入賞した。
2020年に宮崎県サッカー協会専務理事に就任する。この年、テゲバジャーロ宮崎はJ3リーグへの参入が決定した。
2021年2月にテゲバジャーロ宮崎の取締役を退任し、ヴィアマテラス宮崎理事就任した。
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g h をかしのかんづめvol.4 お国自慢なら誰にも負けん。宮崎愛で草サッカーチームをJリーグへ導く熱き男 (2/2ページ) - をかしな編集部(2019年9月28日)2021年9月3日閲覧。
- ^ a b c d e f g をかしのかんづめvol.4 お国自慢なら誰にも負けん。宮崎愛で草サッカーチームをJリーグへ導く熱き男 (1/2ページ) - をかしな編集部(2019年9月28日)2021年9月3日閲覧。
- ^ 「をかしのかんづめ」のインタビューで柳田はプロフェソール宮崎FCへの参加を「28歳の時」と述べているが、これは2001年となり、後述する門川クラブを引き受けた後となる。
外部リンク
[編集]- きっかけがある喜びを!テゲバジャーロ宮崎・柳田和洋さんに聞くクラブの過去・現在・未来 - 新富町観光情報
- [1] - 石崎監督を招へいし、森島、高地を獲得した目的とは?(柳田代表インタビュー/前編)【テゲバジャーロ宮崎の野望】
- [2] - 宮崎発。クラブの壮大なる野望とは?(柳田代表インタビュー/後編)【テゲバジャーロ宮崎の野望】
- [3] - ヴィアマテラス宮崎-VIAMATERRAS MIYAZAKI
- 宮崎県サッカー協会 - 一般社団法人 宮崎県サッカー協会