林胡
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林胡(りんこ、拼音:Línhú、上古音:liəm ɣa[1])とは、林人(りんじん、拼音:Línrén、上古音:liəm ȵien[2])、儋林(たんりん、拼音:Dānlín、上古音:tam liəm[2])とも言い[3]、森林地帯に住む胡人の意である。
周代から戦国時代にかけて、主要な北方遊牧民族に林胡と楼煩がいた[4]。
晋の文公の時代、林胡は晋の北方(現在の山西省北部)に活動し楼煩と接したが、後に、東へ移動し燕の北方(現在の河北省北部)へ移った。
武霊王の時代、趙は軍事力が強大となり、北の林胡、楼煩を破り、雲中、雁門、代の3郡を設置すると、林胡はオルドス地方東部へ逃れた。その後、趙の武将李牧に敗北すると、単于は逃亡し、これより林胡は姿を消す。
唐代の詩、張謂『同孫構免官後登薊楼』[5] に「猶希虜塵動,更取林胡帳(外敵の動きが盛んならば、林胡の天幕を取って手柄としたいもの)」とあるように後代にも林胡への言及はある。
現代における研究
[編集]清代に記録の残る兀者は、林胡の後裔と考えられている[要出典]。