林広山
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林 広山(はやし の ひろやま、生没年不詳)は、奈良時代後期の官人。姓は連のち宿禰。雅楽助・林久麻の子。官位は外従五位下・武蔵少掾。
経歴
[編集]孝謙朝の天平勝宝2年(750年)常陸国司・正七位上の官位にあった(常陸国筑波郡の調黄絁の墨書)。
外従五位下に叙せられた後、称徳朝の神護景雲2年(768年)武蔵少掾に任官する。なお、武蔵国の等級は上国であったが[1]、前年の神護景雲元年(767年)弓削広方が初めて武蔵員外介に任じられ[2]、さらに広山が初めて少掾に任ぜられていることから、この頃から大国に改められたものと思われる[3][4]。神護景雲3年(769年)兄弟の林雑物らとともに連から宿禰に改姓している。
官歴
[編集]注記のないものは『続日本紀』による。