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林家延玉

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

林家 延玉(はやしや えんぎょく)は、落語家名跡

初代

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初代 林家はやしや 延玉えんぎょく
生年月日 不詳年
没年月日 1874年
出身地 日本の旗 日本
師匠 初代桂文吾
初代林家正三
名跡 1. 三光齋源吾
2. 2代目桂文吾
3. 林家圓玉
4. 三光齋延玉
5. 林家延玉
活動期間 ? - 1874年
活動内容 上方落語
所属 川喜派

初代 林家延玉(生年不詳 - 1874年)は、本名不詳。

文化文政ころの生まれ、初め初代桂文吾の門下で、三光齋(または桂)源吾を経て、1846年に2代目文吾襲名。講談師の門人となった後、初代林家正三(正翁)の門下で林家圓玉。後に上京し、三遊亭圓生一門の狂言亭圓玉との混同をさけるため、安政時代には三光齋延玉から林家延玉と改名。帰阪後は初代桂文枝の桂派に対抗して川喜派の頭取になった。

音曲を得意とし、「とっちりとん」や「えんかいな節」などの替唄を作り、唄本や刷り物残し発表した。

2代目

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2代目 林家はやしや 延玉えんぎょく
生年月日 不詳年
没年月日 1886年5月17日
出身地 日本の旗 日本
師匠 初代桂文枝
名跡 1. 3代目桂文吾(1875年 - 1880年)
2. 林家延玉(1880年)
3. 3代目桂文吾(1880年 - 1886年)
4. 林家延玉(1886年)
活動期間 1875年 - 1886年
活動内容 上方落語
家族 初代桂小文吾(息子)

2代目 林家 延玉(? - 1886年5月17日)は、本名不詳。

幕末の生まれ。1875年ころから初代桂文枝の門下で3代目文吾を襲名。

1880年夏に林家延玉を名乗る。同年秋に再度、文吾になるが、1886年3月に延玉に復帰。また寄席によっては文吾、延玉を使い分けることもあった。あだ名の「山寺」は、大阪市中央区清水町の自宅で「山寺」という看板を掲げて酒商を営んでいたためらしい。

1880年8月、落語取締役に当選。落語研究会を企画したりと活躍したが、初代桂文團治4代目林家正三と同じく、流行のコレラで死去。墓所は大阪市天王寺区上本町9丁目の壽法寺(別名・紅葉寺)。

弟子

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脚注

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注釈

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出典

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  • 『古今落語系図一覧(文之助系図)』(日本芸術文化振興会、2004年)
  • 『落語系圖』(月亭春松編)
  • 『古今東西落語家事典』(平凡社、1989年)
  • 『ご存じ 古今東西落語家事典』