松阪市立幸小学校
松阪市立幸小学校 | |
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北緯34度34分17秒 東経136度31分34秒 / 北緯34.57135度 東経136.52612度座標: 北緯34度34分17秒 東経136度31分34秒 / 北緯34.57135度 東経136.52612度 | |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 松阪市 |
設立年月日 | 1952年(昭和27年)9月3日[1] |
創立記念日 | 10月24日[2] |
共学・別学 | 男女共学 |
学校コード | B124220420076 |
所在地 | 〒515-0073 |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
松阪市立幸小学校(まつさかしりつ さいわいしょうがっこう)は三重県松阪市の市立小学校。
歴史
[編集]1952年(昭和27年)9月に松阪市立第二小学校から分離して開校した[3]。本校を三重大学学芸学部松阪分校に、分教場を旧第二小学校に置いた[3]。開校のきっかけになったのは前年に発生した松阪大火であり[4]、大火で焼けた第二小学校の仮校舎が垣鼻町に置かれたものの、三重交通松阪線(松電)の踏切を渡らなければ通学できない地域が発生したため、通学上危険であるして新校の設置が要望され実現したものである[1]。校名の「幸」は、学校所在地の殿町の中にある地名「幸町」から採用された[1]。1952年(昭和27年)12月1日、三重県立松阪工業高等学校の美術部生徒がデザインした校章が制定された[5]。校歌(1953年〔昭和28年〕3月19日制定)は日本全国から公募し、山梨県の安藤壮一の歌詞が採用され、作曲は三重大学の大島徳吉が行った[5]。
1954年(昭和29年)6月に分教場を廃止[3]、9月25日に木造2階建ての校舎が完成した[5]。1956年(昭和31年)10月24日に鉄筋コンクリート構造3階建て一部4階建ての新校舎が完成、この日が創立記念日となった[2]。なお建設工事中には弥生土器が発見されている[2]。翌1957年(昭和32年)10月20日には運動場が完成した[6]。児童数の増加によりプレハブ校舎が増設され、1972年(昭和47年)10月23日にプールが、1973年(昭和48年)10月4日に鉄筋コンクリート構造3階建ての新校舎が竣工した[6]。
1989年(平成元年)12月、1954年(昭和29年)に建てられた木造校舎(通称「旧木」)が取り壊された[5]。1995年(平成7年)3月10日、体育館が完成した[6]。
校区
[編集]- 黒田町
- 新町
- 白粉町
- 泉町
- 内五曲町
- 桜町
- 五月町
- 大黒田町※
- 殿町※
- 湊町※
児童数
[編集]2009年5月1日現在の児童数は476人であった[8]。2016年5月1日現在の児童数は22学級467人である[9]。
出身者
[編集]脚注
[編集]- ^ a b c “幸まちづくり第59号”. 幸まちづくり協議会. 松阪市 (2016年12月1日). 2018年9月22日閲覧。
- ^ a b c “幸まちづくり第55号”. 幸まちづくり協議会. 松阪市 (2017年4月1日). 2018年9月22日閲覧。
- ^ a b c 松阪市史編さん委員会 編 1985, p. 245.
- ^ “幸小誕生秘話を連載 まち協伝部会が11月号広報から記録文や写真 子供や住民に伝えたい”. 夕刊三重 (2016年11月15日). 2018年9月22日閲覧。
- ^ a b c d “幸まちづくり第57号”. 幸まちづくり協議会. 松阪市 (2017年2月1日). 2018年9月22日閲覧。
- ^ a b c “幸まちづくり第62号”. 幸まちづくり協議会. 松阪市 (2017年7月1日). 2018年9月22日閲覧。
- ^ “小学校区一覧”. 松阪市教育委員会事務局学校支援課 (2015年7月2日). 2016年10月12日閲覧。
- ^ 松阪市ウェブサイト
- ^ 三重県教育委員会(2016):20ページ
- ^ 田村のりひさOfficialHomepage(2014年7月28日閲覧。)
参考文献
[編集]- 松阪市史編さん委員会 編 編『松阪市史 別巻2 索引・年表』蒼人社、1985年1月25日、258頁。全国書誌番号:85028305
- 三重県教育委員会『学校名簿 平成28年度』三重県教育委員会事務局教育総務課、2016年7月、57p.
関連項目
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