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松野幸信

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

松野 幸信(まつの ゆきのぶ、1933年昭和8年〉7月17日[1] - 2019年平成31年〉3月23日)は、日本政治家。岐阜県穂積町長(3期)および瑞穂市長(1期)。

来歴

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岐阜県本巣郡穂積村(後の穂積町、現在の瑞穂市)で、後に岐阜県知事や衆議院議員を務める松野幸泰と後に穂積町長を務める松野友の長男として生まれた[2]慶應義塾大学経済学部卒業[3]

旭化成工業、砂利採取などを行う穂積町の昭和工業の社長を経て[4][5][6]1994年(平成6年)7月の穂積町長選挙に立候補した。穂積町では、母の松野友が1990年まで合併前も含めた11期43年に亘って町長を務めており、再び親族による町政が行われるか注目された[2][7]

前町長の後継者として指名された候補を破って初当選し、穂積町長に就任した[2]。任期満了による1998年の町長選挙では無投票当選となった[4]

穂積町長として他町村との合併に取り組んだ[8]。合併が争点の一つとなった2002年の町長選でも当選し[9]、2003年に巣南町との合併と瑞穂市の発足を成立させた[8]

2003年(平成15年)6月に行われた瑞穂市長選挙にも立候補。長期に亘る親族での町政に焦点が当てられる中当選し、初代瑞穂市長に就いた[8][10]2007年(平成19年)の市長選挙も同様の争点での選挙戦となり、元巣南町長で瑞穂市議の堀孝正に敗れた[7][11]。穂積町・瑞穂市では合計56年母子2代が村長・町長・市長を務めたことになる[7][11]

町政・市政においては健全な財政運営を重視した[11]

2019年(平成31年)3月23日、肺炎のため岐阜市の病院で死去。85歳没[6]

家系

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評価

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母の松野友による期間も含めて町政が長期に亘ることには根強い批判があった[8][11]。松野友が穂積町開発公社の不正土地取引の責任を取って辞任した直後の1990年の町長選挙で名前が取りざたされたが[12]、同じ保守系の中でも親族ではなく、松野友と距離を置いていた松野文司が立候補して当選した[13][14]。松野文司は「支持者に勧められて出馬を決意した」とするが[15]、市議会議員の中には、松野文司は松野幸信に説得されて町長選に立候補したとして松野幸信を批判する者もいる[16]

脚注

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  1. ^ 『全国歴代知事・市長総覧』日外アソシエーツ、2022年、221頁。
  2. ^ a b c 「穂積町長選 松野氏が初当選 「経済活性化図りたい」」『中日新聞 朝刊 岐阜県版』1994年8月1日、10面。
  3. ^ 「初代の瑞穂市長に松野氏 「街づくり着実に実現」 接戦、山田氏振り切る」『読売新聞 朝刊 中部』2003年6月2日、29面。
  4. ^ a b 大野孝志「穂積町長選 松野氏が無投票再選 「町民と共に計画推進」 抱負語る」『中日新聞 朝刊 岐阜県版』1998年7月8日、16面。
  5. ^ 「穂積の昭和工業に 民事再生法適用へ」『中日新聞 朝刊 岐阜県版』2002年12月26日、16面。
  6. ^ a b 松野幸信氏死去 初代瑞穂市長」『岐阜新聞』2019年3月27日。2019年4月2日閲覧。
  7. ^ a b c 「母から通算56年「長期政権」に幕」『朝日新聞 朝刊 名古屋本社』2007年4月23日、18面。
  8. ^ a b c d 「瑞穂市長選、松野幸信氏が当選 町長3期の強み、広範に支持」『朝日新聞 朝刊 岐阜』2003年6月2日、22面。
  9. ^ 「穂積町長に松野さん 接戦しのぎ3選果たす」『中日新聞 朝刊 岐阜県版』2002年7月16日、18面。
  10. ^ 鈴木学「市長に松野さん 瑞穂市の発展に全力 支持者ら前に笑顔で抱負」『中日新聞 朝刊 岐阜県版』2003年6月2日、20面。
  11. ^ a b c d 横山大輔「2007統一選ぎふ 瑞穂市長選 初当選 堀さん『感無量』 支持者ら喜び爆発」『中日新聞 朝刊 岐阜県版』2007年4月23日、8面。
  12. ^ 「後継者選びに焦点移る 松野穂積町長辞職 思惑も絡み難航か 依然根強いファミリー派」『中日新聞 朝刊 岐阜県版』1990年7月6日、岐阜。
  13. ^ 「激震 穂積 再生への船出(上) どう生かす批判票「4304」 新町長 圧勝にも戸惑い」『中日新聞 朝刊』1990年8月13日、21面。
  14. ^ 「保守の土壌なお厚く」『朝日新聞 朝刊 名古屋』1990年8月13日、23面。
  15. ^ 「穂積町の選択 町長選を前に(下) 直前のどんでん返し 保守陣営に“地殻変動”」『中日新聞 朝刊 岐阜版』1990年8月5日、18面。
  16. ^ 熊谷祐子 (2007年4月5日). “松野体制56年はいかに持続されたか~H19年統一地方選手伝い22~”. くまがいさちこのブログ. 2022年11月3日閲覧。