松田寛一
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松田 寛一(まつだ かんいち、1864年4月10日(元治元年3月5日)[1] - 没年不明)は、日本の酒造家(萬力、清月、松世界、三社正宗の醸造元)、福岡県浮羽郡吉井町の豪商(商号・松屋)[1]、政治家。浮羽郡郡会議員[2]。
経歴
[編集]松田恒吉の六男[1]。20歳の時、酒造業を開始した[1]。弱冠にして分籍一家を創立し、単身決然巨資を投じて努力を重ね醇美なる銘酒の芳香は好飲家から慕われた[1]。
郡参事会員、所得税調査委員、営業税調査委員、九ヶ村土木組合会議員、吉井肥料[3]、生吉銀行[4]、吉井産業銀行各監査役[5]、西海電気取締役、郡会議長などをつとめた[1]。
人物
[編集]住所は福岡県浮羽郡吉井町[2]。『福岡県壱万円以上実業家資産名鑑と大日本富豪家蓄財の経歴 大正11年8月現在』によると、松田の「純資産額は25万円」である[6]。
松田酒場(松田寛一)について『吉井町誌 第2巻』には「住所・吉井町上吉井、創業・明治初期、昭和45年廃業、屋号・松屋、銘酒・萬力、出身・不明」とある[7]。
家族・親族
[編集]長男の連造は酒造業を営んだ[1]。松田大策の養兄・庸三の妻・藤代は、寛一の養子であった[8]。
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g 『浮羽郡人物名鑑 郡制廃止記念』54頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年12月14日閲覧。
- ^ a b 『九州紳士録 第1輯』165頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年10月29日閲覧。
- ^ 『日本全国諸会社役員録 明治42年』福岡県 下編959頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年11月1日閲覧。
- ^ 『商工信用録』福岡県 銀行1頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年11月1日閲覧。
- ^ 『帝国銀行会社要録 附・職員録 大正9年(9版)』福岡県 銀行2頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年11月1日閲覧。
- ^ 『福岡県壱万円以上実業家資産名鑑と大日本富豪家蓄財の経歴 大正11年8月現在』155頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年12月16日閲覧。
- ^ 『吉井町誌 第2巻』335 - 336頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年10月29日閲覧。
- ^ 『人事興信録 第8版』マ95頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年12月14日閲覧。
参考文献
[編集]- 商業興信所編『日本全国諸会社役員録 明治42年』商業興信所、1909年。
- 集報社編『九州紳士録 第1輯』集報社、1914年。
- 帝国興信所編『帝国銀行会社要録 附・職員録 大正9年(9版)』帝国興信所、1920年。
- 帝国実業奨励会編『福岡県壱万円以上実業家資産名鑑と大日本富豪家蓄財の経歴 大正11年8月現在』若越書院、1922年。
- 本庄敏行『浮羽郡人物名鑑 郡制廃止記念』千代の倶楽部、1922年。
- 人事興信所編『人事興信録 第8版』人事興信所、1928年。
- 大阪興信所編『商工信用録』大阪興信所、1929年。
- 吉井町誌編纂委員会編『吉井町誌 第2巻』吉井町、1979年。