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松浦信英

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
松浦 信英
時代 江戸時代
死没 享保9年8月23日1724年10月9日
改名 松浦半弥、酒之丞[1]
戒名 玄忠[1]
幕府 江戸幕府 書院番士、桐間番、近習番、小姓使番寄合、先鉄砲頭
主君 徳川綱吉家宣吉宗
氏族 平戸松浦氏
父母 父:松浦信正 (市左衛門)、母:松浦八郎左衛門娘
兄弟 松浦信福、信正 (河内守)星合顕行妻、青山幸増妻
松浦内匠娘
女子、松浦信尹(養子)
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松浦 信英(まつら のぶひで)は江戸時代旗本小姓使番、先鉄砲頭等を歴任した。

経歴

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松浦信正 (市左衛門)の長男として生まれ、天和3年(1683年)3月19日徳川綱吉御目見した[1]元禄4年(1691年)12月2日書院番士となり、元禄5年(1692年)3月25日桐間番、9月11日近習番に転じ、10月3日小姓となった[1]

元禄11年(1698年)7月3日蔵米の代わりに武蔵国久良岐郡相模国鎌倉郡内600石の知行地を与えられた[1]。12月5日家督を継いで計1,300石となったが、その内300石は蔵米として父の隠居料に充てられた[1]

宝永6年(1709年)綱吉が死去し、2月21日寄合に列した[1]正徳3年(1713年)7月18日使番となり、享保2年(1717年)1月15日巡見使として駿河国近江国三河国尾張国伊賀国伊勢国志摩国甲斐国信濃国飛騨国美濃国等を回った[1]。享保4年(1719年)12月11日先鉄砲頭となり、享保9年(1724年)2月19日辞任、8月23日死去した[1]

親族

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脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r 『寛政重修諸家譜』, pp. 483–484.

参考文献

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