松澤太郎
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松澤 太郎(まつざわ たろう、1912年(大正元年)12月26日[1][2][3] - 2007年(平成19年)3月11日[4])は、昭和期の機械技術者、政治家。
来歴
[編集]長野県下伊那郡上飯田村(現飯田市[5])で、松澤茂雄、寿美の長男として生まれた[1]。旧制飯田中学(長野県飯田高等学校)[1]、旧制松本高等学校理科甲類[1]を経て、1938年(昭和13年)3月、京都帝国大学工学部機械工学科を卒業[1][2][3][5]。
石川島芝浦タービン[2][5]から1950年(昭和25年)芝浦ミシンに転職し[1][5]、1955年(昭和30年)退社[1]。飯田市商工観光課工業指導事務嘱託を経て[2]、1956年(昭和31年)飯田市教育長、1964年(昭和39年)飯田市総務部長となり、1968年(昭和43年)に退職[1][2][5]。
1972年(昭和47年)10月に飯田市長選挙に当選し[1][5]、1988年(昭和63年)10月まで4期務めて引退した[3]。この間、教育振興、福祉の充実、生活環境整備に尽力した[2]。また飯伊地域広域市町村圏協議会長、信越放送取締役を務めた[5]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『長野県人名鑑』信濃毎日新聞社、1974年。
- 『日本の歴代市長 第2巻』歴代知事編纂会、1984年。
- 宝月圭吾編『長野県風土記』旺文社、1986年。
- 『新訂 現代政治家人名事典:中央・地方の政治家4000人』日外アソシエーツ、2005年。
関連項目
[編集]- 飯田市立図書館(松澤太郎文庫)