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松本道弘

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

松本 道弘(まつもと みちひろ、1940年(昭和15年)3月6日 - 2022年(令和4年)3月14日[1])は、日本の英語通訳者、英語講師[2]。本名:松本 廸紘(まつもと みちひろ)。

経歴・人物

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大阪府生まれ[2]。高校生のとき、校長が行った臨時の授業をきっかけに、英語学習に注力するようになった[3]関西学院大学商学部卒業後、日商岩井勤務[2]。通訳者として、西山千に師事し、駐日アメリカ合衆国大使館同時通訳者、NHK教育テレビの上級英語講座の講師などを勤めた[2][4]

産業能率短期大学、のち産業能率大学助教授[5]名古屋外国語大学教授などを経て、1997年からホノルル大学教授[6][7]

松本は、早い時期から日本におけるディベート教育の必要性を主張し、1970年代から著書『知的対決の論理 : 日本人にディベートができるか』(朝日出版社1975年)や、翻訳書『ディベートの方法:討論・論争のルールと技術』(産業能率短期大学出版部、1978年)などを刊行するとともに、各地で普及活動にあたった。1993年には、国際ディベート学会を創設し[6]、会長となっている[2]

ヒストリーチャンネルや、ナショナルジオグラフィックチャンネルなどの番組に、英語で日本文化を紹介する役回りで出演したことがある[2]

2022年3月14日、間質性肺炎により死去[1][8]。82歳没。

英語道

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松本は子どもの頃から柔道に打ち込んでおり、大学時代には3段になるほどだったが、柔道はスポーツではなく武道であるという捉え方をしていた[3]。大学の頃に、「武道の心を英語に吹き込み、英語で日本一になってやろう」と決心したという[3]。後には独自の「英語道」を提唱し、この考えに基づいた英語検定試験「ICEEコミュニケーション検定試験」を主宰するようになった[2][8]

1986年に英語と異文化交流を学ぶ私塾として「弘道館」を設け、2005年にこれを「紘道館」と改称した[9]。2021年、インターネット上で松本道弘のコンテンツを学べる会員制オンライン・サロンが開校。これを「松本道弘オンライン・アカデミア」と言う。

著作

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英語教育や日本文化について140冊を越える著作があるとされる[2][10]

脚注

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  1. ^ a b 紘道館にご縁のあるみなさまへ”. 紘道館 (2022年3月19日). 2022年5月10日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h 松本道弘プロフィール”. 紘道館. 2015年2月15日閲覧。
  3. ^ a b c 第6回・同時通訳者/松本道弘”. Wailingual. 2015年2月15日閲覧。
  4. ^ https://web.archive.org/web/20080123150933/http://www.eiken1kyujuku.jp/2006/03/post_9.html
  5. ^ 1982年4月時点では、産業能率大学助教授:第1回ミズノ・オピニオンズ・コンサート”. ミズノスポーツ振興財団. 2015年2月15日閲覧。
  6. ^ a b ワールドフォーラム2009年9月例会 松本 道弘 氏 のご報告 オバマの行方-パックス・アメリカーナの崩壊と米国の行方- 国際ディベート学会会長 松本 道弘 氏”. World Forum. 2015年2月15日閲覧。
  7. ^ 2001年10月時点では、ホノルル大学教授:Hindell, Juliet (2001年10月12日). “Opinion: Katakana clangers”. Shukan ST (The Japan Times). http://st.japantimes.co.jp/english_news/opinion/2001/op20011012/op20011012main.htm?print=english 2015年2月15日閲覧。 
  8. ^ a b 刀祢館正明「(惜別)松本道弘さん 英語の達人」『朝日新聞』2022年7月30日、夕刊、7面。2022年8月1日閲覧。
  9. ^ 紘道館とは?”. 紘道館. 2015年2月15日閲覧。
  10. ^ 「松本, 道弘, 1940 - 」に一致する資料”. 国立国会図書館. 2015年2月15日閲覧。

外部リンク

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