柳妻麗三郎
やなづま れいざぶろう 柳妻 麗三郎 | |
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本名 | 高見 嘉一(たかみ かいち) |
別名義 |
松旭斎 天秀(しょうきょくさい てんしゅう) チャーリー 高見(チャーリー たかみ) |
生年月日 | 1898年3月9日 |
没年月日 | 不詳年 |
出生地 | 日本 熊本県熊本市二本木町(現在の同県同市西区二本木) |
職業 | 俳優、芸人、元奇術師、元照明技師 |
ジャンル | 劇映画(現代劇・時代劇、剣戟映画、サイレント映画・トーキー)、奇術 |
活動期間 | 1910年 - 1953年 |
著名な家族 | 高見映 (子息) |
主な作品 | |
『喧嘩日記』 『活動狂時代』 『照る日くもる日』 『踊る霊魂』 |
柳妻 麗三郎(やなづま れいざぶろう、1898年3月9日 - 1988年あるいは1989年)は、日本の俳優、芸人、元奇術師、元照明技師である[1][2][3][4][5][6][7][8][9][10]。奇術師時代の芸名は松旭斎 天秀(しょうきょくさい てんしゅう)、本名・旧芸名は高見 嘉一(たかみ かいち)[1][2][3][5][8][9][10]、一時期、チャーリー 高見(チャーリー たかみ)とも名乗った[11]。「マキノのチャップリン」と呼ばれ[12]、「昭和の鳥人」こと高木新平に軽業を指導したこと、および「ノッポさん」こと高見映の実父としても知られる[1][13]。
人物・来歴
[編集]1898年(明治31年)3月9日、熊本県熊本市二本木町(現在の同県同市西区二本木)に生まれる[1][2][3]。
高見嘉太郎の長男として生まれ、長じて、地元(二本木遊郭)の芝居小屋「東雲座」で照明係や設備営繕等の技術職を務めた[14]。やがて、全国を巡業していた松旭斎天一(1853年 - 1912年)と出逢い、これに師事して奇術師に転向、「松旭斎 天秀」の名をもらう[1][2][3][10][15]。満16歳になる1914年(大正3年)、京都の日活関西撮影所で、牧野省三が新劇(現代劇)を製作する際にこれに出演、以降、天一一座から離れて、同撮影所で照明技師を務めていた[1][2][3]。1920年(大正9年)には、同撮影所の演技学校におり、高木新平はここで高見(柳妻)に師事している[1][2][3][13]。
満27歳になった1925年(大正14年)6月、牧野省三が東亜キネマを退社、天授ヶ丘に御室撮影所を建設してマキノ・プロダクションを設立した際にこれに参加する[1][2][3]。同年9月11日に公開された『奇傑鬼鹿毛 第二篇』(監督金森萬象)で「浮鮫源三郎秀春」役に抜擢されて出演、本名の「高見 嘉一」でクレジットされた[1][2][3][5]。同作のプロモーションでは、主演の武井龍三が「鳥人」、平八郎が「巨人」、高見(柳妻)は「豹人」というフレーズがつけられた[1][12]。同年10月30日に公開された『駕屋の先生』(監督沼田紅緑)に出演したときから、芸名を「柳妻 麗三郎」と改める[1][2][3][5]。1926年(大正15年)5月5日に公開された『活動狂時代』(監督曾根純三)では、「チャップリンに似た男」役を演じ、子役スター松尾文人とともに「大チャプ小チャプ」と宣伝された[1][5][6][12][注釈 1]。同年11月7日から公開が開始した『照る日くもる日』のシリーズでは、「猿の源次」役を演じて代表作のひとつになり、現代劇、時代劇問わず出演した[1][5][6]。高見映によれば、父・高見嘉一(柳妻)は「顔がバタくさく」、「美男子の父」の顔が印刷されているトランプが残っているという[10]。
1929年(昭和4年)7月25日、牧野省三が亡くなり、同年9月にマキノ正博を核とした新体制が発表になると、柳妻は、嵐冠三郎、荒木忍、南光明、根岸東一郎、谷崎十郎、阪東三右衛門、市川米十郎、東郷久義、市川幡谷、實川芦雁、桂武男、市川新蔵、津村博、澤田敬之助、河津清三郎、五味國男、川田弘三、小金井勝、秋田伸一、岡村義夫らとともに「俳優部男優」に名を連ねた[16]。その後、新体制下のマキノ・プロダクションは財政が悪化し、1931年(昭和6年)4月以降、製作が停止する[17]。同年1月10日に公開された『呑気放亭』(監督根岸東一郎)に出演したのを最後に、柳妻は同社を退社する[1][5][6]。
のちに「ノッポさん」として知られる高見映(本名・高見嘉明)が生まれたのは、マキノ退社後の1934年(昭和9年)5月10日で、当時は役者時代から引き続き、京都府京都市右京区太秦の俳優たちが多く住む長屋に暮らし、その一角で電気器具店を営業していたという[10][11]。その傍ら、「チャーリー 高見」を名乗り、チャーリー・チャップリンの物まねを映画の幕間に演じる、芸人としての活動も行っていたという[11]。1938年(昭和13年)ころには、東京府東京市向島区寺島町(現在の東京都墨田区東向島周辺)に移転、同地で工場に勤務して工場長を務め、第二次世界大戦が深まった1944年(昭和19年)には岐阜県羽島郡笠松町に疎開し、1951年(昭和26年)に東京に戻ったという[10]。
東京に戻ってしばらくして、高見(柳妻)は芸能界に復帰し、満54歳であった1953年(昭和28年)1月22日に公開された上原謙・杉葉子の主演作『夫婦』(監督成瀬巳喜男)に出演した記録が残っている[5][8][9]。しかしながら、同作以降の出演歴は不明である[5][8][9]。
1979年(昭和54年)10月23日に発行された『日本映画俳優全集・男優編』(キネマ旬報社)の柳妻の項目によれば、すでに引退はしていたが、満81歳を迎えるその当時は存命で、東京都三鷹市上連雀に住んでいたようである[1]。高見映の回想によれば、正確な没年月日は伏せられているが、『ノッポさんがしゃべった日』の執筆されたころ(1991年5月発行)から数年前に亡くなったという[18]。また近年、読売新聞のインタビューで、高見映は自身が54歳の時に亡くなったと発言している[19]。したがって没年は1988年か1989年、満90歳あるいは91歳没となる。
フィルモグラフィ
[編集]クレジットは、すべて「出演」である[5][6]。公開日の右側には役名[5][6]、および東京国立近代美術館フィルムセンター(NFC)、マツダ映画社所蔵等の上映用プリントの現存状況についても記す[9][20]。同センター等に所蔵されていないものは、とくに1940年代以前の作品についてはほぼ現存しないフィルムである。資料によってタイトルの異なるものは併記した。
マキノプロダクション御室撮影所
[編集]すべて製作は「マキノプロダクション御室撮影所」、配給は「マキノ・プロダクション」、すべてサイレント映画、特筆以外は「柳妻麗三郎」名義である[5][6]。
- 『奇傑鬼鹿毛 第二篇』 : 総指揮マキノ省三、監督金森萬象、原作・脚本寿々喜多呂九平、撮影橋本佐一呂、主演武井龍三、1925年9月11日公開 - 浮鮫源三郎秀春(「高見嘉一」名義)
- 『糸の乱れ 後篇』 : 総監督牧野省三(マキノ省三)、監督・脚色沼田紅緑、原作前田曙山、撮影宮崎安吉、主演澤村長十郎、1925年10月23日公開 - 平領百姓 甚六(「高見嘉一」名義)
- 『駕屋の先生』 : 監督・原作・脚色沼田紅緑、撮影松浦茂、主演岩城秀哉、1925年10月30日公開 - 百姓多左衛門
- 『街にぶらさがった糸瓜』 : 監督井上金太郎、原作・脚本寿々喜多呂九平、撮影大森伊八、主演中根龍太郎、1925年12月31日公開 - 人力車夫
- 『喧嘩日記』 : 監督・脚本井上金太郎、原作秋篠珊次郎(井上金太郎)、撮影石野誠三、主演マキノ正唯(マキノ正博)、1926年1月31日公開 - 軽業師
- 『豆本太閤記』 : 監督・原作・脚色曾根純三、撮影三木稔、主演坪井哲、1926年2月26日公開 - 怪しき旅人
- 『活動狂時代』 : 監督曾根純三、原作・脚色椎名良太(曾根純三)、撮影三木稔、主演松尾文人、1926年5月5日公開 - チャップリンに似た男
- 『わすれ髪』 : 総指揮マキノ省三、監督・原作・脚色人見吉之助、撮影田中十三、主演大谷友三郎、1926年5月6日公開 - 番頭七兵衛
- 『憤怒』 : 監督沼田紅緑、原作・脚本西條照太郎、撮影松田定次、主演大谷友三郎、1926年7月1日公開 - おせきの兄長作
- 『天狗になった話』 : 監督曾根純三、脚本椎名良太(曾根純三)、撮影三木稔、主演都賀一司、1926年11月7日公開 - 父伊五平
- 『照る日くもる日 第一篇』 : 総指揮マキノ省三、監督二川文太郎、原作大佛次郎、脚本並木狂太郎(並木鏡太郎)、撮影石本秀雄、主演若松文男、1926年11月7日公開 - 猿の源次
- 『照る日くもる日 第二篇』 : 総指揮牧野荘造(マキノ省三)、監督二川文太郎、原作大佛次郎、脚本並木狂太郎(並木鏡太郎)、撮影石本秀雄、主演若松文男、1926年11月26日公開 - 猿の源次
- 『大尉の娘』 : 監督井上金太郎、原作中内蝶二、脚本秋篠珊次郎(井上金太郎)、撮影松浦しげる(松浦茂)、主演関根達発、1927年1月10日公開 - 隣の男
- 『照る日くもる日 第四篇』 : 監督人見吉之助、原作大佛次郎、脚本並木狂太郎(並木鏡太郎)、撮影田中十三、主演大谷友三郎、1927年4月7日公開 - 猿の源次
- 『踊る霊魂』 : 監督・原作・脚色芝蘇呂門、撮影田中十三、主演須田笑子、1927年7月29日公開 - 林英二
- 『神州天馬侠 第一篇』 : 監督曾根純三、原作吉川英治、脚本椎名良太(曾根純三)、撮影三木稔・石野誠三、主演マキノ潔、1928年2月3日公開 - 果心居士
- 『ひよどり草紙 第二篇』 : 監督人見吉之助、原作吉川英治、脚本内田菊子(社喜久江)、撮影木村角山、主演岡島艶子、1928年3月8日公開 - 猟師豚兵衛
- 『忠魂義烈 実録忠臣蔵』 : 総指揮・監督マキノ省三、監督補秋篠珊次郎(井上金太郎)、脚本山上伊太郎・西条照太郎、撮影田中十三、撮影補藤井春美、主演伊井蓉峰・諸口十九、1928年3月14日公開 - 奥田孫太夫重盛、78分尺で現存(NFC所蔵[9]) / 65分尺で現存(マツダ映画社所蔵[20])
- 『ひよどり草紙 第三篇』 : 監督人見吉之助、原作吉川英治、脚本内田菊子(社喜久江)、撮影木村角山、主演岡島艶子、1928年3月28日公開 - 猟師豚兵衛
- 『ひよどり草紙 第四篇』 : 監督人見吉之助、原作吉川英治、脚本内田菊子(社喜久江)、撮影木村角山、主演岡島艶子、1928年4月9日公開 - 猟師豚兵衛
- 『ひよどり草紙 第五篇』 : 監督人見吉之助、原作吉川英治、脚本内田菊子(社喜久江)、撮影木村角山、主演岡島艶子、1928年4月22日公開 - 猟師豚兵衛
- 『神州天馬侠 第二篇』 : 監督曾根純三、原作吉川英治、脚本椎名良太(曾根純三)、撮影三木稔・石野誠三、主演マキノ潔、1928年4月27日公開 - 果心居士
- 『蹴合鶏』 : 総指揮マキノ省三、監督マキノ正博、原作・脚本山上伊太郎、撮影松浦茂、主演南光明、1928年6月29日公開 - 八助
- 『神州天馬侠 第三篇』 : 監督吉野二郎、原作吉川英治、脚本・撮影三木稔、主演マキノ潔、1928年7月27日公開 - 果心居士
- 『神州天馬侠 第四篇』 : 監督吉野二郎、原作吉川英治、脚本三木みのる(三木稔)、撮影野村金吾、主演マキノ潔、1928年9月21日公開 - 果心居士
- 『大学のイーグル 第一篇』 : 監督川浪良太、原作・脚本寿々喜多呂九平、撮影大塚周一、主演東郷久義、1928年9月28日公開 - アパートの主人
- 『大学のイーグル 第三篇』 : 監督川浪良太、原作・脚本寿々喜多呂九平、撮影木村角山、主演東郷久義、1929年1月20日公開 - 五平
- 『豊大閤 足軽篇』 : 総指揮・立案マキノ省三、監督・脚色中島宝三、撮影野村金吾、主演河津清三郎、1929年3月21日公開 - 雲水の僧
- 『三朝小唄』(『温泉悲話 三朝小唄』[9]) : 監督・原作・脚本人見吉之助、主演秋田伸一、1929年6月14日公開 - 富屋の息子 薄野呂の杢之助、『温泉悲話 三朝小唄』題・57分尺で現存(NFC所蔵[9])
- 『刀を抜いて』 : 監督二川文太郎、原作岡本一平、脚本紫乃塚乙馬(二川文太郎)、撮影大塚周一、主演中根龍太郎、1929年10月24日公開 - 小坂庄兵衛
- 『早慶戦時代』 : 監督川浪良太、原作斎藤三郎、脚本八田尚之、撮影石野誠三、主演中根龍太郎、1929年11月15日公開 - 慶応方ファン前田玄造翁
- 『浪人街 第三話 憑かれた人々』 : 監督マキノ正博、原作・脚本山上伊太郎、撮影三木稔、主演澤村國太郎、1929年11月15日公開 - 用人喜内
- 『娘義太夫』 : 監督人見吉之助、原作・脚本山下与志衛、撮影若宮廣三、主演浦路輝子、1929年11月28日公開 - 浜田米吉
- 『総動員』 : 監督・原作・脚本川浪良太、撮影若宮廣三、主演大貫憲二、1930年2月21日公開 - 毛唐人
- 『人斬伊太郎』 : 監督・脚本並木鏡太郎、原作長谷川伸、撮影三木稔、主演谷崎十郎、1930年2月28日公開 - 藤堂伝馬
- 『煉獄二道』 : 監督吉野二郎、原作国枝史郎、脚本杉本九一郎、撮影田邊憲治、主演市川米十郎、1930年6月13日公開 - ポール
- 『呑気放亭』 : 監督・脚本根岸東一郎、原作岡本一平、撮影山本雅久、主演中根龍太郎、1931年1月10日公開
戦後
[編集]脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b c d e f g h i j k l m n o キネマ旬報社[1979], p.600.
- ^ a b c d e f g h i 映画世界社[1928], p.77.
- ^ a b c d e f g h i 映画世界社[1929], p.101.
- ^ 柳妻麗三郎、jlogos.com, エア、2013年6月12日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m 柳妻麗三郎、高見嘉一、日本映画データベース、2013年6月12日閲覧。
- ^ a b c d e f g 柳妻麗三郎、日本映画情報システム、文化庁、2013年6月12日閲覧。
- ^ 柳妻麗三郎、allcinema, 2013年6月12日閲覧。
- ^ a b c d e 高見嘉一、東宝 映画データベース、2013年6月12日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j 柳妻麗三郎、高見嘉一、東京国立近代美術館フィルムセンター、2013年6月12日閲覧。
- ^ a b c d e f 高見[1991], p.92-95.
- ^ a b c ラクゴロク「しゃべるノッポさんは落語流」高見のっぽ、朝日新聞、2006年7月10日付、2013年6月12日閲覧。
- ^ a b c 岩本[2005], p.131-133.
- ^ a b 映画世界社[1934], p.77.
- ^ くまもと[2000], p.56.
- ^ 藤山[2012], p.150-151.
- ^ 1929年 マキノ・プロダクション御室撮影所所員録、立命館大学、2013年6月12日閲覧。
- ^ 御室撮影所、立命館大学、2013年6月12日閲覧。
- ^ 高見[1991], p.34.
- ^ 古岡三枝子 (2007年12月11日). “聞き書き 俳優高見のっぽさん(9)”. 読売新聞. オリジナルの2009年7月14日時点におけるアーカイブ。 2013年8月25日閲覧。
- ^ a b 主な所蔵リスト 劇映画 邦画篇、マツダ映画社、2013年6月12日閲覧。
参考文献
[編集]- 『日本映画俳優名鑑 昭和四年版』、映画世界社、1928年発行
- 『日本映画俳優名鑑 昭和五年版』、映画世界社、1929年発行
- 『日本映画俳優名鑑 昭和九年版』、映画世界社、1934年発行
- 『日本映画俳優全集・男優編』、キネマ旬報社、1979年10月23日
- 『ノッポさんがしゃべった日』、高見映、丸善メイツ、1991年5月 ISBN 4895770516
- 『芸能人物事典 明治大正昭和』、日外アソシエーツ、1998年11月 ISBN 4816915133
- 『くまもとの女性史』、くまもと女性史研究会、熊本日日新聞情報文化センター、2000年3月 ISBN 4877550828
- 『時代劇伝説 チャンバラ映画の輝き』、岩本憲児、森話社、2005年10月 ISBN 4916087569
- 『天一一代 明治のスーパーマジシャン』、藤山新太郎、エヌティティ出版、2012年6月29日 ISBN 4757150822
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- Reisaburo Yanazuma - IMDb
- 柳妻麗三郎 - 文化庁日本映画情報システム
- 柳妻麗三郎 - 日本映画データベース
- 高見嘉一 - 日本映画データベース
- 柳妻麗三郎 - allcinema
- 柳妻麗三郎 - jlogos.com (エア)
- 高見嘉一 - 映画データベース (東宝)