松平重矩
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時代 | 江戸時代前期 - 中期 |
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生誕 | 寛文7年(1667年)[1] |
死没 | 宝永3年6月12日(1706年7月21日) |
改名 | 重矩、大重(法名) |
別名 | 友之助、助右衛門、孫大夫 |
墓所 | 白峯寺 |
幕府 | 江戸幕府 大坂船手 |
主君 | 徳川綱吉 |
氏族 | 戸田氏→深溝松平家 |
父母 |
父:戸田正吉、母:松平重次の娘 養父:松平重良、養母:大島義近の娘 |
兄弟 | 戸田勝房、重矩、戸田政則、松平重良養女 |
妻 | 松平定由の娘 |
子 | 養子:勘敬 |
松平 重矩(まつだいら しげとも、寛文7年(1667年)- 宝永3年(1706年)6月12日)は、江戸時代前期から中期にかけての旗本。
略歴
[編集]戸田正吉の次男として誕生。母方の叔父にあたる松平重良の養子となる。
元禄11年(1698年)8月14日、5代将軍・徳川綱吉に拝謁。翌年7月9日家督を継ぎ寄合に列する。宝永元年(1704年)6月10日大坂船手に就き、同年9月7日に布衣の着用を許される。
大坂にて死去。相模国白峯寺に葬られた。小笠原常春の次男で自身の甥にあたる勘敬が家督を継いだ。
系譜
[編集]父母
正室
- 松平定由の娘
養子
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『寛政重脩諸家譜』第1輯,國民圖書,1922. 国立国会図書館デジタルコレクション 94コマ目 https://dl.ndl.go.jp/pid/1082717/1/94 (参照 2024-02-22)
- 『寛政重脩諸家譜』第5輯,國民圖書,1923. 国立国会図書館デジタルコレクション 400コマ目 https://dl.ndl.go.jp/pid/1082718 (参照 2024-02-22)