松平直徳
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松平 直徳(まつだいら なおのり、1869年8月30日(明治2年7月23日[1])- 1931年(昭和6年)12月24日[1][2])は、明治から昭和期の実業家、政治家、華族。貴族院子爵議員。幼名は祥次郎[3]。
経歴
[編集]旧播磨明石藩主・松平慶憲の二男として生まれる[1][4]。1884年(明治17年)3月26日、兄・直致の養子となり、同年4月2日、兄の隠居に伴い家督を継承し直徳と改名した[1][3][4]。同年7月8日、子爵を叙爵した[3][4][5]。
1903年(明治36年)1月23日、貴族院子爵議員補欠選挙で当選し[6][7]、研究会に所属して活動し、1925年(大正14年)7月9日まで4期在任した[2]。その他、明石銀行取締役、辰馬本家酒造取締役などを務めた[4]。
栄典
[編集]親族
[編集]- 妻:精子(せいこ、松平乗命長女)[1]
- 長男:直祥(子爵)[1][9]
- 次男:敬次郞[9]
- 三男:直頴(頴次郞[9])
- 四男:禮次郞[9]
- 妻:初子(岩倉具張長女、西郷従徳養女)[1]
- 姪:英子(亡兄直致長女、子爵品川弥二郎長男・弥一の妻)[9]
- 姪:任男子(亡兄直致四女、「白鹿」製造元辰馬本家酒造13代当主・辰馬吉左衞門の妻)[10]
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g 『平成新修旧華族家系大成 下巻』605-606頁。
- ^ a b 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』42頁。
- ^ a b c 『大日本華族大鑑』177頁。
- ^ a b c d 『人事興信録 第9版』マ100頁。
- ^ 『官報』第308号、明治17年7月9日。
- ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、12頁。
- ^ 『官報』第5866号、明治36年1月24日。
- ^ 『官報』第724号「叙任及辞令」1914年12月29日。
- ^ a b c d e 松平直德 (男性)『人事興信録』データベース 第4版 [大正4(1915)年1月] 名古屋大学大学院法学研究科
- ^ 辰馬吉左衞門 (男性)『人事興信録』データベース 第4版 [大正4(1915)年1月] 名古屋大学大学院法学研究科
参考文献
[編集]- 筒井住蓮編『大日本華族大鑑』都通信社、1911年。
- 人事興信所編『人事興信録 第9版』人事興信所、1931年。
- 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成 下巻』霞会館、1996年。
日本の爵位 | ||
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先代 叙爵 |
子爵 (明石)松平家初代 1884年 - 1931年 |
次代 松平直頴 |