松平忠彦
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時代 | 江戸時代後期 |
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生誕 | 文化2年9月9日(1805年10月30日) |
死没 | 天保12年4月27日(1841年6月16日) |
戒名 | 惇宗院殿道嶽㓛顕大居士 |
官位 | 従四位下式部大輔 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家慶 |
藩 | 武蔵忍藩主 |
氏族 | 奥平松平家 |
父母 |
父:松平忠翼 養父:松平忠堯 |
兄弟 | 忠堯、忠彦、小笠原政礼、忠国、米津政饒、於トシ、増山正直正室、操子ら |
妻 | 正室:池田斉稷の娘 |
子 | 養子:忠国 |
松平 忠彦(まつだいら たださと)は、江戸時代後期の大名。武蔵国忍藩の第2代藩主。官位は従四位下・式部大輔。奥平松平家10代。
生涯
[編集]奥平松平家8代、桑名藩主・松平忠翼の三男として誕生。兄・忠堯の養嗣子となり、天保7年(1836年)には従四位下式部大輔に叙任され、天保9年(1838年)には兄の隠居に伴って家督を相続した。正室は池田斉稷娘。
在任2年足らずで死去し、弟・忠国が家督を相続した。
系譜
[編集]父母
正室
- 繡子 ー 池田斉稷の娘
養子
- 松平忠国 ー 実弟