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松平忠彦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
松平忠彦
時代 江戸時代後期
生誕 文化2年9月9日1805年10月30日
死没 天保12年4月27日1841年6月16日
戒名 惇宗院殿道嶽㓛顕大居士
官位 従四位下式部大輔
幕府 江戸幕府
主君 徳川家慶
武蔵忍藩
氏族 奥平松平家
父母 松平忠翼
養父松平忠堯
兄弟 忠堯忠彦小笠原政礼忠国米津政饒、於トシ、増山正直正室、操子ら
正室池田斉稷の娘
養子:忠国
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松平 忠彦(まつだいら たださと)は、江戸時代後期の大名武蔵国忍藩の第2代藩主官位従四位下式部大輔奥平松平家10代。

生涯

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奥平松平家8代、桑名藩主・松平忠翼の三男として誕生。兄・忠堯の養嗣子となり、天保7年(1836年)には従四位下式部大輔に叙任され、天保9年(1838年)には兄の隠居に伴って家督を相続した。正室は池田斉稷娘。

在任2年足らずで死去し、弟・忠国が家督を相続した。

系譜

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父母

正室

養子