松平康圭
表示
時代 | 江戸時代後期 |
---|---|
生誕 | 文政4年10月22日(1821年11月16日) |
死没 | 文久2年8月22日(1862年9月15日) |
墓所 | 東京都港区虎ノ門の天徳寺 |
官位 | 従五位下・左近将監、周防守 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家定→家茂 |
藩 | 陸奥棚倉藩主 |
氏族 | 松井松平家 |
父母 | 父:松平康任、母:松平康定の娘 |
兄弟 | 康寿、康爵、康圭、達、聡子、知姫、簾子、愛姫、小出英発正室 |
妻 | 内藤政優の養女 |
子 | 康泰、鈴子 |
松平 康圭(まつだいら やすかど)は、江戸時代後期の大名。陸奥国棚倉藩の第2代藩主。官位は従五位下・左近将監、周防守。松井松平家10代。
略歴
[編集]文政4年(1821年)、石見国浜田藩主・松平康任の三男として誕生した。康任は天保6年(1835年)に隠居させられ、跡を継いだ康圭の同母兄・康爵は翌年に棚倉へ移封となっている。嘉永4年12月28日(1852年)、康圭は康爵の養子となる。嘉永6年12月23日(1854年)、13代将軍・徳川家定に拝謁する。同年12月28日、従五位下・左近将監に叙任する。嘉永7年(1854年)9月16日、康爵の隠居に伴い家督を継ぐ。藩政においては、文化事業に尽力している。
文久2年(1862年)8月22日に死去した。享年42。跡を長男の康泰が継いだ。
系譜
[編集]父母
正室
子女