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松山新田藩

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

松山新田藩(まつやましんでんはん)は、江戸時代中期にあった伊予松山藩支藩である。

概要

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石高は1万石。久松松平家4代松平定直の子定章享保5年(1720年)に桑村郡越智郡の一部を新田分知されて立藩した。定章の後は嫡子の定静が遺領を相続したが、明和2年(1765年)2月になって伊予松山藩7代藩主松平定功の養嗣子となり、本藩藩主家を継承することになったため、新田藩も本藩に吸収されるかたちで廃藩となった。

歴代藩主

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松平〔久松〕家

親藩 1万石 (1720年 - 1765年)

  1. 定章
  2. 定静