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松尾寅三

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
松尾寅三

松尾 寅三(まつお とらぞう[1]、旧姓・山尾1850年8月14日嘉永3年7月14日[2][3] - 1914年大正3年)3月3日[1][4])は、日本の政治家衆議院議員(山口県下関市選出、当選2回)[1]。族籍は山口県平民[2]

経歴

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山口県出身[4]。山尾忠治郎の五男[2]慶応3年、松尾家の養子となり、家督を相続する[2]。普通学を修める。戸長山口県会議員、赤間関区会議員、同議長、赤間関市(現・下関市)会議員、同参事会員、同議長、市徴兵参事員、所得税調査委員、破産管財人、山口県勧業諮問会員を務める[4]

また、紙屋を営み、赤間関商業会議所副会頭、同会頭、下関開港期成同盟会幹事長、馬関商業銀行頭取馬関電灯社長、馬関烟草取締役、下関米穀取引所監査役となる[4]

1902年第7回衆議院議員総選挙において下関市選挙区から立憲政友会公認で立候補して当選した[5]1903年第8回衆議院議員総選挙において無所属で立候補するが落選した[6]

1904年第9回衆議院議員総選挙において無所属で立候補するが1票差で落選した[7]1908年第10回衆議院議員総選挙において立憲政友会から立候補して当選した[8]。衆議院議員を2期務め、1912年第11回衆議院議員総選挙には出馬しなかった。1914年に死去した。

人物

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住所は下関岬之町[2]

家族

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松尾家
  • 養父・久七郎[2]
  • 妻・ヒサ1851年 - ?、養父・久七郎の長女)[2]
  • 長男・琢三1871年 - ?)[2]
    • 同妻・テル1877年 - ?、山口、河崎謙助六女)[2]
  • [2]

脚注

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  1. ^ a b c 『議会制度七十年史 第11』まの部462頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2022年4月15日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h i j 『人事興信録 第3版』ま48頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2022年4月15日閲覧。
  3. ^ 衆議院『第二十五回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1908年、23頁。
  4. ^ a b c d 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』594頁。
  5. ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』38頁。
  6. ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』42頁。
  7. ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』46頁。
  8. ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』50頁。

参考文献

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  • 人事興信所編『人事興信録 第3版』人事興信所、1903 - 1911年。
  • 衆議院、参議院編『議会制度七十年史 第11』大蔵省印刷局、1962年。
  • 日本国政調査会編『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』国政出版室、1977年。
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。