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松原秀治

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

松原 秀治(まつばら ひでじ、1902年 - 1984年12月[1])は、日本外交官言語学者

経歴

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慶應義塾大学卒業、外務省に勤務し、翻訳課で仏訳などを手がけるうちに、冠詞研究を深めていった。三宅徳嘉によれば、その業績は日本人の仏語研究としてフランス本国で高い評価を得た最初のものであるという[1]。以後も外務省勤務の傍ら仏語研究や著述を続けた。

コンゴ代理大使などを経て、退官後は白百合女子大学教授。

1929年から32年までパリ、リヨン、グルノーブルに留学・勤務した。グルノーブル大学フランス語版英語版に留学中、フランス文学者松原秀一が生まれている。青柳瑞穂の友人。娘は小山七々子の名で著作活動をしている。

家族

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父の松原重栄

著書

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  • Essai sur la syntaxe de l'article en françai moderne(Sirey,1932)
  • 『ふらんす語冠詞の用法』(白水社、1949年)
  • 『フランス語発音の手引』(白水社、1952年)
  • 『フランス語の冠詞』(白水社、1978年)
  • 『フランス語らしく書く 仏作文の考え方』松原秀一補(白水社、1995年)

翻訳

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のち『フランス言語地理学』と改題、松原秀治・横山紀伊子訳(大学書林、1958年)

脚注

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  1. ^ a b 三宅徳嘉「松原秀治氏を悼んで」『フランス語学研究』第19巻第1号、日本フランス語学会、1985年6月1日、108-109頁、doi:10.20579/belf.19.1_108 
  2. ^ 『米沢市史』第4巻、米沢市、1991年、p181
  3. ^ a b 松原重栄『人事興信録』第8版 [昭和3(1928)年7月]
  4. ^ 石川商会 松原重栄『財界の実力』桑村常之助 金桜堂 明44.10, doi:10.11501/777918.
  5. ^ 内藤 隆夫「宝田石油の成長戦略」『社会経済史学』第66巻第4号、社会経済史学会、2000年、389-411,483、doi:10.20624/sehs.66.4_389ISSN 0038-0113NAID 110001211848 
  6. ^ 芹沢友吉『人事興信録』第4版 [大正4(1915)年1月]