松倉渡船
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松倉渡船(まつくらとせん)は、木曽川で運航されていた渡し船である。松倉渡し、中屋渡し、牛子渡し、とも呼ばれる。
概要
[編集]岐阜県羽島郡川島町松倉町(現在の岐阜県各務原市川島松倉町)と岐阜県稲葉郡稲羽町下中屋(現在の岐阜県各務原市下中屋町)の間の木曽川で運航された渡船である。
愛知県一宮市と那加駅を結ぶ県道(現・一宮各務原線)の一部であり、岐阜県営の渡船であった。2021年(令和3年)現在もこの松倉渡船の区間は一宮各務原線の途中途絶区間である。
松倉側には松倉渡船の案内板が設置されている。また、松倉渡船で使用されたという江戸時代後期(文政13年)の常夜灯(現在のは1990年代に復元)が堤防上に残り、松倉渡船場付近にあった弘法堂も残っている。
歴史
[編集]- 1586年(天正14年)6月24日 - 木曽川の洪水により現在の木曽川の流路の元ができる。
- 1589年(天正17年) - 領主坪内氏(松倉城城主)の命で松倉渡船が設置される。松倉渡船は尾張国一宮と中山道を結ぶ街道(馬街道)の渡船となる。
- 1727年(享保12年) - 真清田神社の門前で定期市として三八市が始まる。このことにより松倉渡船の利用者が増加する。
- 1909年(明治42年) - 松倉渡船の運営権が松倉から下中屋に譲渡される。この時の運賃は往復で7厘。
- 1918年(大正7年) - この頃の運賃は往復1銭5厘。
- 1923年(大正12年) - 浅井那加停車場線が県道の認定を受け、岐阜県営の渡船となる。
- 1962年(昭和37年) - 下流に川島大橋が架橋されたことにより廃止。
その他
[編集]- 川島町に伝わる民話で「牛子渡しとキツネ」がある。これは松倉渡船の船頭達が語り伝えていた話である。
- 別名の「牛子の渡し」の牛子とは、江戸時代の松倉村の枝村の「牛子村」によるものである(現在の川島松倉町の西部の字名に「西牛子」がある)。
関連項目
[編集]参考文献
[編集]- 川島町史・通史編(川島町・1986年)
- ふる里かわしま(川島町・1976年)
- 資料館だより・Vol.35(各務原市歴史民俗資料館・2017年3月)
- 資料館だより・Vol.36(各務原市歴史民俗資料館・2018年3月)
- KISSO・Vol.18(国土交通省木曽川下流事務所・1996年)
- 木曽川の渡し船(中山雅麗[1]・1989年)
- かわしまの民話(川島町ふるさと史料館・1994年)
脚注
[編集]- ^ 一宮市博物館事務局長(当時)