松井貞太郎
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松井 貞太郎(まつい ていたろう、1884年(明治17年)1月20日[1] - 1952年(昭和27年)[2]9月3日[3])は、大正から昭和時代前期の政治家、実業家。奈良県奈良市長。貴族院多額納税者議員。
経歴・人物
[編集]奈良市出身[1]。松井元淳の長男として生まれる[4]。奈良県立五條中学校(現・奈良県立五條高等学校)、第四高等学校(現・金沢大学)大学予科第一部を経て、京都帝国大学法科に入学するが中途退学する[1]。
製墨業を営み、1921年(大正10年)10月に奈良製墨同業組合長に就任[1]。ついで産業銀行監査役などを経て、1927年(昭和2年)2月に奈良市町総代協会長に当選[1][4]。さらに同年4月に奈良市学務委員、6月に奈良実業協会総務委員長に推された[1]。1937年(昭和12年)10月8日、奈良市長に就任した[1]。
その後、1939年(昭和14年)奈良県多額納税者として貴族院議員に互選され、同年9月29日に就任[5]。1941年(昭和16年)5月、大政翼賛会中央協力会議員を経て、翌年の1942年(昭和17年)9月に同会の奈良県支部事務局長に就任した[6]。ほか、製墨業・古梅園12世を務めた[2]。1946年(昭和21年)4月13日、貴族院議員を辞職した[7]。後に公職追放となった[8]。
著作
[編集]- 『古梅園墨談』奈良・古梅園本店、1936年。
親族
[編集]脚注
[編集]- ^ a b c d e f g 帝国自治協会 1938, 41頁.
- ^ a b c d 400年以上続く古梅園の歴史 | 書遊Online書遊Online、2019年7月11日閲覧。
- ^ 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』221頁。
- ^ a b c d 人事興信所 1928, マ59頁.
- ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、49頁。
- ^ a b c 帝国秘密探偵社 1943, 奈良10頁.
- ^ 『官報』第5781号、昭和21年4月25日。
- ^ 総理庁官房監査課 編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、326頁。NDLJP:1276156。
- ^ 人事興信所 1928, セ25頁.
参考文献
[編集]- 帝国自治協会 著『全国市長銘鑑 : 自治制実施五十周年記念』帝国自治協会、1938年 。
- 人事興信所『人事興信録 第8版』人事興信所、1928年 。
- 帝国秘密探偵社 編『大衆人事録 第14版 近畿・中国・四国・九州篇』帝国秘密探偵社、1943年 。
- 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
- 総理庁官房監査課 編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年 。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。