コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

松丸志摩三

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

松丸 志摩三(まつまる しまぞう、1907年8月19日 - 1973年11月7日)は、日本農民教育家・農業評論家・畜産学者。詩人社会運動家・元共産党員のぬやま・ひろし西沢隆二)は実兄。

経歴・人物

[編集]

西沢吉治・松丸みつの三男として神戸に生まれる。長兄・基一、次兄・隆二[1]

台町小学校から深川八丁堀の小学校に転校、麻布中学を経て旧制静岡高等学校理科を卒業[2]

1925年、父親の事業の破産に遭い、両親が八丈島に移住したのにつれて移住[1]

1932年、東京帝国大学農学部獣医学科を卒業。卒業と同時に松丸姓を継ぐ。すぐに朝鮮に渡り、全羅北道農林学校の教諭を1年余り務めたのち、朝鮮総督府畜産技師となり、1940年、畜産課長となる[1]

1943年、朝鮮総督府を辞任。長兄・基一らが参与する台湾南方協会に招かれ、台湾に行く[1]

1944年、帰京して東京拓殖株式会社調査部、新日本畜産協会理事などを務める。以後、疎開先の千葉県長生郡西分村にて、酪農指導など農村活動の仕事に専念する[1]

1954年、静岡県田方郡函南町に移住。1969年まで同地で新生活運動協会の仕事を主とし、農村活動や執筆活動を旺盛に行う[1]

1969年、宮崎県児湯郡高鍋町に移住。栗園の経営に情熱を燃やす[1]

1973年11月7日、死去。

著作

[編集]
  • 『南方圏の棉花資源』国際日本協会、1942年
  • 『家畜の物語』小学館、1943年
  • 『日本農業物語』霞ヶ関書房、1946年 / 増補改訂版:八雲書店、1948年
  • 『家畜の歴史物語』霞ヶ関書房、1946年
  • 『日本馬物語』月曜書房、1947年
  • 『緬羊物語』文化評論社、1948年
  • 『農業技術の話』実業教科書、1948年
  • 『家畜と私たち』
  • 『動物から家畜へ 私たちの社会科教室』国民図書刊行会、1949年
  • 『競走馬の基礎知識 サラブレッドの手引』河童書房、1949年
  • 『朝鮮牛の話』岩永書店、1949年。
  • 『畜産農業と酪農のこつ』
  • 『農村新生活講座〝日本農民組合文化部編〟農事研究会の手引き』
  • 『これからの農業経営』
  • 『家畜のはなし』
  • 『私たちと家畜』
  • 『機械を田や畑に』
  • 『家畜のできるまで』
  • 『牛かいの魔術』
  • 『畜産の学校』岩永書店、1949年
  • 『日本馬物語』
  • 『動物のもつ習性』
  • 『農業の生いたち』
  • 『太洋州』国民図書刊行会、1951年
  • 『養豚経営の新知識』河出書房、1952年
  • 『農業の魔術』牧書店、1952年
  • 『畜産の学校』
  • 『これからの読書』
  • 『農民は都会人にうったえる』新評論社、1953年
  • 『農村に生きる青年』新評論社、1953年
  • 『村の次三男』新評論社、1954年
  • 『村つくり教室』中央公論社、1955年
  • 『農民の暮らしと考え』新評論社、1955年
  • 『村の教師に訴える』新評論社、1955年
  • 『再び村の教師に訴える』
  • 『村づくりと家づくり』
  • 『青年運動と村づくり』
  • 『農業問題の疑問点』
  • 『農村指導者のために』
  • 『農民はいま何をなすべきか』
  • 『農民生活への注文』
  • 『インテリと農村』
  • 『しつけの責任は誰に』明治図書出版、1957年
  • 『村の教師論』新評論社、1959年
  • 『青年運動と生産活動』農山漁村文化協会、1959年
  • 『がんばれ村のかあちゃん』あすなろ書房、1961年
  • 『農民教育の焦点』農山漁村文化協会、1968年
  • 『農民指導者と社会教育』

文献

[編集]
  • 「特集・松丸志摩三をしのぶ」『里』2号、里の会、1975年10月
  • 長島又男『ぬやま・ひろしとその時代』社会評論社、1985年7月

脚注

[編集]
  1. ^ a b c d e f g 「松丸志摩三の略歴」(『里』2号、1975年10月、里の会)p.84。
  2. ^ 長島又男『ぬやま・ひろしとその時代』(1985年7月、社会評論社)p.44。

関連項目

[編集]