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東長田村

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ひがしながたそん
東長田村
廃止日 1955年3月30日
廃止理由 新設合併
天津村大国村法勝寺村上長田村東長田村西伯町
現在の自治体 南部町
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 中国地方山陰地方
都道府県 鳥取県
西伯郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
総人口 963
国勢調査、1950年)
隣接自治体 賀野村、法勝寺村、上長田村、日野郡溝口町
東長田村役場
所在地 鳥取県西伯郡東長田村
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東長田村(ひがしながたそん[1][2])は、鳥取県西伯郡にあった。現在の西伯郡南部町の一部にあたる。

地理

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法勝寺川の支流・東長田川の流域一帯と、同支流の八金川・二桝川・峠口川・牛子川・水谷川・奥山川流域の山間部に位置していた[2]

歴史

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  • 1889年(明治22年)10月1日、町村制の施行により、会見郡八金村、中村、東上村が合併して村制施行し、東長田村が発足[1][2]。旧村名を継承した八金、中、東上の3大字を編成[2]。会見郡上長田村組合村1913年(大正2年)まで結成し、組合役場を上長田村大字能竹に置いた[3]
  • 1896年(明治29年)4月1日、郡の統合により西伯郡に所属[2]
  • 1939年(昭和14年)東長田電信電話取扱所が開設され、1946年(昭和21年)東長田郵便局となる[2]
  • 1955年(昭和30年)3月30日、西伯郡天津村、大国村、法勝寺村、上長田村と合併し、町制施行し西伯町を新設して廃止された[1][2]。合併後、西伯町大字八金・中・東上となる[2]

産業

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  • 農業、商業、工業[2]

教育

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  • 1879年(明治12年)落合小学校江原分校が独立し、中村小学校となる[4]。1885年(明治18年)校舎新築[4]。1887年(明治20年)中村簡易小学校に改称[4]。1892年(明治25年)東長田尋常小学校に改称[2]。1891年(明治26年)大字中に校舎新築[2]。1907年(明治40年)東長田尋常高等小学校に改称[2]。1909年(明治42年)東長田尋常小学校に改称[2]。1941年(昭和16年)東長田国民学校に改称[2]。1947年(昭和22年)東長田小学校に改称[2]。1967年(昭和42年)西伯小学校に統合され閉校[4]

脚注

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  1. ^ a b c 『市町村名変遷辞典』652頁。
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o 『角川日本地名大辞典 31 鳥取県』635頁。
  3. ^ 「能竹」『角川日本地名大辞典 31 鳥取県』594頁。
  4. ^ a b c d 「中〈西伯町〉」『角川日本地名大辞典 31 鳥取県』542-543頁。

参考文献

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関連項目

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