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東運寺 (杉並区)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
東運寺
所在地 東京都杉並区方南2-5-4
位置 北緯35度40分51.2秒 東経139度39分29.7秒 / 北緯35.680889度 東経139.658250度 / 35.680889; 139.658250座標: 北緯35度40分51.2秒 東経139度39分29.7秒 / 北緯35.680889度 東経139.658250度 / 35.680889; 139.658250
山号 念仏山
宗派 浄土宗
本尊 阿弥陀如来[1]
創建年 天正元年(1573年[注釈 1]
開山 一安[1]
開基 鈴木伊兵衛
中興年 大正11年(1922年
中興 桂巌
別称 釜寺
公式サイト 東運寺公式サイト
法人番号 9011305000403 ウィキデータを編集
東運寺 (杉並区)の位置(東京都区部内)
東運寺 (杉並区)
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東運寺(とううんじ)は、東京都杉並区にある浄土宗寺院

概要

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1573年天正元年)、一安によって開山された。一安は安寿と厨子王の守り本尊「身代り地蔵尊」を奉じており、地元の地主だった鈴木伊兵衛が自分の屋敷を寄進して「念仏堂」にしたという[2]

明治になり寺運衰微したが、1922年大正11年)に下谷入谷町にあった「東運寺」と合併し「念仏山東運寺」となった。中興の桂巌新体制の下で、本殿などを新築した[3]

釜寺

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当寺の本堂の屋根の上にが載せられていることから、通称は「釜寺」と呼ばれている。これは厨子王が釜茹でにされそうになった時に、僧侶に扮した地蔵に助けられた故事からきている。現在の釜は二代目で、1を炊くことができるという[2]

山門

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当寺の山門は三井八郎右衛門から寄進されたもので、元々は一関藩江戸藩邸の門であった。赤穂事件浅野長矩が一関藩主田村建顕(右京大夫)に預けとなり、今生の別れにこの門をくぐったという[3]

交通アクセス

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脚注

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注釈

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  1. ^ 新編武蔵風土記稿』では正保元年(1644)[1]

出典

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  1. ^ a b c 新編武蔵風土記稿 和田村.
  2. ^ a b 20 東運寺【寺院】(方南2丁目5番4号)杉並区教育委員会事務局生涯学習推進課文化財係
  3. ^ a b 大谷光男、嗣永芳照 著『杉並区史跡散歩 (東京史跡ガイド15)』学生社、1992年、111-114p

参考文献

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  • 大谷光男、嗣永芳照 著『杉並区史跡散歩 (東京史跡ガイド15)』学生社、1992年
  • 「和田村 念仏堂」『新編武蔵風土記稿』 巻ノ124多磨郡ノ36、内務省地理局、1884年6月。NDLJP:763995/52 

関連項目

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外部リンク

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