東洋航空工業
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本社所在地 |
日本 東京都中央区日本橋兜町一丁目1番地 |
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設立 | 1952年 |
業種 | 輸送用機器 |
事業内容 | 航空機製造、飛行場経営 |
代表者 | 取締役社長 山田富美彦 |
資本金 | 387百万円(1968年9月) |
純資産 | 365百万円(1968年9月) |
総資産 | 1,494百万円(1968年9月) |
決算期 | 9月末日 |
東洋航空工業株式会社(とうようこうくうこうぎょう)は、日本にかつて存在した航空機製造会社。東洋航空藤沢飛行場も経営した。
概要
[編集]川西航空機の上層部らが中心となり設立した。
戦後日本の国産機として第2号となるTT-10を製造した。
1952年にアメリカ合衆国のフレッチャー FD-25の生産ライセンスを獲得した。6機を生産して、いずれも東南アジアに輸出したが、設立当初より経営が思わしくなく、1969年に会社解散した。
歴史
[編集]- 1952年(昭和27年)6月 - 東京都千代田区有楽町一丁目1番地日活国際会館第219号室で創業。
- 1952年(昭和27年)12月30日 - 当会社が最初に製作したTT-10の1号機(機体記号:JA3026)の初飛行に成功。
- 1953年(昭和28年)3月28日 - 東洋航空藤沢飛行場を供用開始。
- 1954年(昭和29年)9月16日 - 東洋航空フレッチャー FD-25B(JA3092)が初飛行。
- 1961年(昭和36年) - 本社所在地を藤沢市4754番地へ移転。東京都立航空工業高等学校へ東洋航空フレッチャーFD-25B(JA3092)を売却。
- 1964年(昭和39年)10月31日 - 東洋航空藤沢飛行場を供用廃止。
- 1964年(昭和39年)11月30日 - 本社所在地を東京都中央区日本橋小網町二丁目2番地へ移転。
- 1965年(昭和40年)6月19日 - 本社所在地を中央区日本橋兜町一丁目1番地へ移転し、事務所を江東区深川佐賀町一丁目16番地山一證券佐賀町別館4階へ置く。
- 1969年(昭和44年)4月10日 - 臨時株主総会を開き、会社解散。清算事務所は、東京都江東区佐賀一丁目15番7号に置かれた。