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東ティモール (州)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
東ティモール
Timor Timur(インドネシア語)
Timór-Lorosa'e(テトゥン語)
東ティモール民主共和国 (1975年)
東ティモール臨時政府
1976年 - 1999年 国連管理下の東ティモール
東ティモールの国旗 東ティモールの国章
州旗紋章
東ティモールの位置
公用語 インドネシア語
ポルトガル語
言語 バリ語
ファタルク語英語版
ジャワ語
テトゥン語
スンダ語
ウアブ・メト語英語版
宗教 カトリック教会
プロテスタント
イスラム教
ヒンドゥー教
仏教
アニミズム
首都 ディリ
大統領
1976年 - 1998年スハルト
1998年 - 1999年ユスフ・ハビビ
知事
1976年 - 1978年 アルナウド・ドス・レイス・アラウージョインドネシア語版
1992年 - 1999年ジョゼ・アビーリオ・オゾリオ・ソアレス
副知事
1976年 - 1981年フランシスコ・シャヴィエル・ロペス・ダ・クルスインドネシア語版
1998年 - 1999年ムシラン・デルモスウィトインドネシア語版
面積
合計15,007km²
人口
1980年555,350人
1990年747,750人
変遷
インドネシアによる侵攻 1976年7月17日
サンタクルス事件1991年11月12日
住民投票1999年8月30日
UNTAET設立1999年10月25日
通貨ルピア
現在東ティモールの旗 東ティモール

東ティモール(ひがしティモール、インドネシア語: Timor Timur)は、インドネシアによる東ティモール占領下の1976年から1999年まで存在した、事実上のインドネシアのである。

解説

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ポルトガルから東ティモール民主共和国として独立した9日後の1975年12月7日に、インドネシアによる侵攻が行われ、1976年7月17日にインドネシアに併合され、27番目の州となった。しかし、国際連合はこの併合を認めず、ポルトガルを正式な宗主国としていた。

1999年8月30日に国連主催の独立の是非を問う住民投票が行われ、東ティモール人による賛成が大多数を占めた。これを受けて、投票の結果を不服としていた併合派の民兵と、その後ろ盾であるインドネシア国軍東ティモール紛争を引き起こし、これを鎮圧するべく東ティモール国際軍が派遣され、1999年10月19日にインドネシアは併合を正式に取り消した。

地方行政区分

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この州は13の県(カブパテン)、1つの行政町(コタ・アドミニストラティフ)、そしてそれらに属する郡(クチャマタン)に分割された[1][2]

脚注

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  1. ^ "Peraturan Pemerintah Republik Indonesia Nomor 19 Tahun 1976 tentang Pemerintahan Propinsi Daerah Tingkat I Timor Timur dan Kabupaten-Kabupaten Daerah Tingkat II di Timor Timur". Act of 30 July 1976 (インドネシア語). 2022年6月30日閲覧 Archived 30 June 2022 at the Wayback Machine.
  2. ^ "Peraturan Pemerintah Republik Indonesia Nomor 41 Tahun 1981 tentang Pembentukan Kota Administratif Dili". Act of 19 November 1981 (インドネシア語). 2022年6月30日閲覧 Archived 30 June 2022 at the Wayback Machine.

外部リンク

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