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来振神社

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
来振神社

参道(2007年撮影)
所在地 岐阜県揖斐郡大野町稲富字白山2586
位置 北緯35度29分52.5秒 東経136度39分18.2秒 / 北緯35.497917度 東経136.655056度 / 35.497917; 136.655056
主祭神 伊弉諾命、伊弉冉命、菊理姫命、大己貴命、白山輔佐翁
社格 式内小社、郷社
創建 伝・725年(神亀2年)
例祭 例大祭(4月第1日曜日)
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来振神社(きぶりじんじゃ)は、岐阜県揖斐郡大野町にある神社である。

式内社美濃國大野郡來振神社 正二位式内来振大神)であり、旧社格郷社

祭神

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歴史

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社伝によれば、725年神亀2年)の創祀である。神亀2年6月18日(旧暦)、美濃国大野郡の白山山頂に、黄金色の雪が降り積もったという。この現象は白山比咩神の降臨との神託があり、この白山山頂に宮社を建てて祀ったという。この時、麓にある法相宗新福寺は来振寺に改称する。

1530年享禄3年)の洪水で麓の建物に被害を受け、1560年永禄3年)には織田信長の焼き討ちにあい、伽藍は焼失する。

その後、豊臣秀吉徳川家康朱印状を発行するなどの援助で復興し、大垣藩戸田氏の援助で1677年延宝5年)には新たな社殿が造営される。以降、大垣藩戸田氏が社殿の修繕などを行い、保護をしている。

長らく白山(標高317m)の山頂に鎮座していたが、白山周辺が良質の石灰岩であることから、明治時代から周辺で石灰採掘が始まる。1968年(昭和43年)、白山は石灰採掘のために削られることになり、来振神社は白山の麓の現在地に移転する。

1999年(平成11年)、周辺が「木振ふれあい公園」として造成され、整備される。

文化財

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  • 町指定文化財
    • 手洗石(重要文化財 工芸品)[1]
    • 来振ばやし(無形民俗文化財)[1]
    • フズリナ化石(天然記念物)[1]

所在地

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  • 岐阜県揖斐郡大野町稲富字白山2586

交通機関

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脚注

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  1. ^ a b c 指定文化財一覧”. 大野町. 2013年5月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年4月20日閲覧。

外部リンク

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