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村野辰雄

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
むらの たつお

村野 辰雄
生誕 1907年5月18日
日本の旗 日本 奈良県御所市
死没 (1992-12-16) 1992年12月16日(85歳没)
東京都渋谷区
死因 急性肺炎
出身校 東京帝国大学経済学部
職業 実業家
栄誉 勲二等旭日重光章
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村野 辰雄(むらの たつお、1907年(明治40年)5月18日 - 1992年(平成4年)12月16日)は、日本の実業家三和銀行元頭取。

経歴・人物

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奈良県御所市出身[1][2]1932年東京帝国大学経済学部を卒業し、三和銀行の前身である山口銀行に入行[1][2]1952年5月に取締役、1957年10月に常務、1961年11月に専務を経て、1971年4月から1976年4月までに頭取を務め、銀行間のオンライン提携の推進とJCBの設立などにより、消費者金融により力を入れ[3]、加州三和銀行の設立などで国際業務にも力を入れた[1]

その一方で、日本銀行参与、全国銀行協会副会長、日本経済団体連合会常任理事、大阪銀行協会会長なども歴任[4][3]ローマ字の普及にも力を入れたことでも知られる[3]1978年11月に勲二等旭日重光章を受章した[1]

1992年12月16日急性肺炎により東京都渋谷区の病院で死去[4]。85歳没。

関連書籍

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  • 村野辰雄追想録刊行委員会、三和総合研究所編『村野辰雄追想録』三和銀行、1993年12月。
  • 興信データ株式會社『人事興信録 第36版 下』興信データ、1991年。 

脚注

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  1. ^ a b c d 興信データ株式會社 1991, む58頁.
  2. ^ a b 村野辰雄 追想録 p522
  3. ^ a b c 1992年12月16日 毎日新聞 夕刊 P11
  4. ^ a b 1992年12月16日 日本経済新聞 夕刊 P15


先代
上枝一雄
三和銀行頭取
第5代:1971年 - 1976年
次代
赤司俊雄