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この項目では、総理府技官である村田浩について記述しています。益子焼の陶芸家の同名の人物については「村田浩」をご覧ください。 |
村田 浩(むらた ひろし、1915年3月10日 - 2000年4月28日[1])は、日本の総理府技官。科学技術庁原子力局長を最後に退官後、日本原子力研究所理事長、原子力安全研究協会理事長、原子力安全技術センター理事長、日本原子力文化振興財団理事長、日本原子力産業会議副会長、原子力デコミッショニング研究会理事長、原子力委員会委員等を歴任した。
1931年旅順工科大学入学[2]。1937年に旅順工科大学機械科卒業後、南満洲鉄道に入社。日本の降伏後、経済安定本部に入庁し、外務省在英国日本国大使館初代科学アタッシェ等を経て、1963年科学技術庁資源局長。1964年科学技術庁計画局長。同年科学技術庁原子力局長[3][4]。退官後、動力炉・核燃料開発事業団理事を経て、1968年日本原子力研究所副理事長。1978年日本原子力研究所理事長。原子力安全研究協会理事長、原子力安全技術センター理事長、日本原子力文化振興財団理事長、日本原子力産業会議副会長、原子力デコミッショニング研究会理事長、原子力委員会委員なども歴任した[3][4]。
2000年4月28日、胃癌のため死去[1]。
- 『原子力と産業社会』朝日新聞社 1969年
- 『若者に贈る原子力の話』日本電気協会新聞部 1997年
- 『原子力多目的利用に関する研究調査資料集』フジ・インターナショナル 1973年