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島村武久

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

島村 武久(しまむら たけひさ、1914年4月12日[1] - 1996年10月5日[2])は、日本の官僚。妻は石川岩吉の三女[1]

高知県出身[1]1938年(昭和13年)、東京帝国大学法学部卒業。日産自動車販売、日本自動車配給会社に勤務後、1944年(昭和19年)に軍需省軍需管理官となる[1]。戦後、商工省通商産業省総理府原子力総務局長、科学技術庁官房長[3]などを経て、1965年(昭和40年)4月に通産省官房審議官で退官[2]

1965年11月より古河電気工業取締役、1973年から1977年まで副社長、1976年から1979年まで原子燃料工業代表取締役社長となる[2]。1978年から1985年まで原子力委員会委員[4][2]。1978年から1979年まで日本原子力産業会議常任理事[2]。1985年、勲二等瑞宝章を受章[2]

1985年(昭和60年)から1994年(平成6年)まで月例の「島村原子力政策研究会(島村研究会)」を主宰し、日本の戦後の原子力発電の歴史発掘に貢献した[5]

1996年10月5日、肺炎のため東京都渋谷区日本赤十字社医療センターで死去[2]

脚注

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参考

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  • 原発事故への道程(NHK 2011年)

関連項目

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先代
杠文吉
科学技術庁原子力局長
1962年 - 1964年
次代
村田浩