村田泰足
表示
村田 泰足(むらた やすたり、寛延2年(1749年) - 文政6年(1823年)11月5日)は江戸時代後期の国学者。通称は新次郎、大介。号凝烟舎(すすのや)は、本居宣長の号鈴屋を捩ったもの。
生涯
[編集]明和6年(1769年)、祖父村田武兵衛の跡を継ぎ、彦根藩旗宰相[1]。
大菅中養父に日本古典、詠歌を学び、後に本居宣長に入門し、小原君雄等と国学を学んだ[1]。寛政11年(1799年)、藩校弘道館設立に際し和学方に就任した[1]。
文政6年(1823年)9月江戸に下ったが、10月病に罹り[2]、11月5日江戸で客死した[3]。
経歴
[編集]- 明和6年(1769年) - 旗宰相、24俵3人扶持[1]
- 安永2年(1773年)閏3月29日 - 歩行[1]
- 寛政3年(1791年)5月27日 - 作事門改役[1]
- 同年12月3日 - 作事方元締改証判役[1]
- 寛政4年(1792年)6月30日 - 辞職[1]
- 寛政11年(1799年)8月4日 - 稽古館和学方[1]
- 寛政12年(1800年)28日 - 綿2把下賜[1]
- 享和2年(1802年)8月15日 - 本歩行、内用達役、26俵3人扶持[1]
- 文化8年(1811年)12月19日 - 29俵3人扶持[1]
- 文化12年(1815年)1月9日 - 役料5俵下賜[1]
- 文政6年(1823年)7月4日 - 騎馬徒士、29俵4人扶持、役料5俵下賜、内用達役免職[1]
著作
[編集]脚注
[編集]- ^ a b c d e f g h i j k l m n 「学士小伝 旧彦根藩」『日本教育史資料』5・巻12、1891年 p.25
- ^ 小原君雄「凝烟舎歌集序」、1834年
- ^ 井上通泰『南天荘歌話』日本古典全集刊行会、1926年 p.80