コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

村田泰足

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

村田 泰足(むらた やすたり、寛延2年(1749年) - 文政6年(1823年11月5日)は江戸時代後期の国学者。通称は新次郎、大介。号凝烟舎(すすのや)は、本居宣長の号鈴屋を捩ったもの。

生涯

[編集]

明和6年(1769年)、祖父村田武兵衛の跡を継ぎ、彦根藩宰相[1]

大菅中養父に日本古典、詠歌を学び、後に本居宣長に入門し、小原君雄等と国学を学んだ[1]寛政11年(1799年)、藩校弘道館設立に際し和学方に就任した[1]

文政6年(1823年)9月江戸に下ったが、10月病に罹り[2]、11月5日江戸で客死した[3]

経歴

[編集]
  • 明和6年(1769年) - 宰相、24俵3人扶持[1]
  • 安永2年(1773年)閏3月29日 - 歩行[1]
  • 寛政3年(1791年)5月27日 - 作事門改役[1]
  • 同年12月3日 - 作事方元締改証判役[1]
  • 寛政4年(1792年)6月30日 - 辞職[1]
  • 寛政11年(1799年)8月4日 - 稽古館和学方[1]
  • 寛政12年(1800年)28日 - 綿2把下賜[1]
  • 享和2年(1802年)8月15日 - 本歩行、内用達役、26俵3人扶持[1]
  • 文化8年(1811年)12月19日 - 29俵3人扶持[1]
  • 文化12年(1815年)1月9日 - 役料5俵下賜[1]
  • 文政6年(1823年)7月4日 - 騎馬徒士、29俵4人扶持、役料5俵下賜、内用達役免職[1]

著作

[編集]
  • 『凝烟舎詠藻』 - 文政7年(1834年)3月15日小原君雄序。天保2年(1831年)弘道館より刊行。

脚注

[編集]
  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n 「学士小伝 旧彦根藩」『日本教育史資料』5・巻12、1891年 p.25
  2. ^ 小原君雄「凝烟舎歌集序」、1834年
  3. ^ 井上通泰『南天荘歌話』日本古典全集刊行会、1926年 p.80

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]